【建物語】郡山市公会堂・郡山市 文化発展の歩み刻む

 
約100年の歴史を持つ郡山市公会堂。茶色いタイルの外装に、時計塔と入り口のアーチが特徴的だ

 市街地の中にたたずむ時計塔が印象的な郡山市公会堂。茶色のタイル張りに白や青緑が添えられた鮮やかな外観が目を引く。市制施行のシンボル、そして文化活動の拠点として1924(大正13)年に建てられ、演奏会や演劇、講演会に展示会と、幅広く市民活動の舞台として親しまれてきた。その役割は建設以来、変わらない。

 時計塔には縦長に並ぶガラス窓があしらわれ、扉の前に連続半円アーチの柱廊がある「ネオルネサンス様式」を基調とする。23年の郡山町予算が42万円の時代に、建築費が16万円。どれだけの「一大事業」だったかが分かる。2004年の改修では、音響効果や照明装置の改良、施設内のバリアフリー化、ひび割れなどの外観補強工事が行われた。

 深まる設計の謎

 かつて市内で音楽や演劇で集客できるホールといえば、「郡山の音楽文化の殿堂」と呼ばれた市民会館と公会堂のみだった。しかし、2千席ある市民会館は市民活動には広すぎた。市文化団体連絡協議会の国分重信会長(72)によると、300席ほどの公会堂は活動するのに「ちょうどいい」唯一の会場。また、文化施設の印象が強い公会堂だが、かつては結婚披露宴にもたびたび使われていた。国分会長は40年ほど前に司会をした経験があるといい、「鹿鳴館のようだった」と振り返る。

 設計の監修者として名前が残るのは、国会議事堂の設計に中心的に関わった矢橋賢吉。しかし多忙だった矢橋は、部下の荻原貞雄に設計を指示した。このとき参考にするよう示したのが、オランダ・ハーグの「平和宮」とも、大阪市の「中之島公会堂」とも伝えられている。「どちらが参考に示されたのか」。市文化振興課の国分俊徹さん(38)は、この謎を探っているが結論は得られていない。当時の代表的な建造物だった二つの建物は、どちらも塔やアーチがある「ネオルネサンス様式」。中之島公会堂が左右対称の塔が立ち並ぶ豪華な印象なのに対し、平和宮は郡山市公会堂と同じ位置に一本塔が立ち、雰囲気も似ているように感じられる。

 国分さんによると、矢橋は中之島公会堂の設計コンペに参加したが、惜しくも3位に終わった。「中之島公会堂を意識せずにはいられなかったのでは」と国分さんは推察する。一方の「平和宮」はどうか。「(平和宮は)当時流行のデザイン。新しいものを取り入れようとする郡山の気質を反映したのではないか」(国分さん)。安積疏水を巡りオランダとは縁が深い。こちらもあり得そう。矢橋は両方を提示したという説もあり、謎は深まるばかりだ。

 時代を見つめて

 郡山市公会堂へと続く道にある桜の木は、市内で最も早咲きのソメイヨシノといわれている。シーズンには歩く人の目の高さにまで枝を伸ばして咲く花と建物の「競演」を写真に収めようと、カメラを手にした市民でにぎわう。今の時期も、新緑が建物のレトロな風貌を一層際立たせている。

 隣接する市中央公民館の展望台に上ると、高さ22メートルの塔を間近に見ることができる。辺りを見渡すと、ショッピングモールやマンションの中にあることに気付かされ、まるでここだけ時が止まったかのようだ。安積疏水が経済発展の礎だとすれば、公会堂は「音楽都市」と呼ばれる郡山の文化発展の礎だ。これからも変わらずまちの移り変わりを見つめ続けるだろう。(五十嵐秋音)

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 郡山市公会堂 1924(大正13)年の郡山市制施行を記念し、建てられた。鉄筋コンクリート造り2階建て。国登録の有形文化財のほか、日本遺産「未来を拓いた『一本の水路』」の構成文化財にもなっている。住所は郡山市麓山1の8の4。利用時間は午前9時~午後9時で予約が必要。毎月第3日曜日と年末年始が休館。問い合わせは市中央公民館(電話024・934・1212)へ。

郡山市公会堂の地図

NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画 

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。