【建物語】旧天田愚庵邸・いわき市 思い今も生き続ける

 
京都から移設された「旧天田愚庵邸」。かやぶき平屋の数寄屋建築が特徴だ

 JRいわき駅のほど近く、周囲のにぎやかさとは対照的な雰囲気の自然あふれる松ケ岡公園の一角に、かやぶき屋根の木造住宅がひっそりとたたずむ。同市が生んだ僧侶で歌人の天田愚庵(あまだぐあん)をしのぶため、住民らの手で守られてきた「旧天田愚庵邸」だ。

 家族捜し全国へ

 住宅は愚庵が自ら設計した高床式の木造平屋で、居間から庭園を望むことができる自然と調和した造りが特徴だ。1900(明治33)年に京都府に建てられた住宅が再現されている。建設から4年後の04年に愚庵が死去後、道路整備のため解体を求められたが、平市(現いわき市)と京都市の関係者の尽力で66年、古里の地に移築された。

 「愚庵は恵まれた人生ではなかった。人となりや思いが建物から感じられる」。顕彰活動を行う有志団体「愚庵会」の事務局長を務める小野田博さん(68)が歴史をひもとく。

 愚庵は、1854年に磐城平藩の武士の五男として生まれた。長男が戊辰戦争に参戦した影響から、望んで戦争に出征。しかし、戦の間に最愛の父母と妹が行方不明になった。愚庵は家族の手掛かりを得るために北海道から九州地方まで全国を訪ね歩いたが、再会を果たすことはできなかった。20年近く捜し歩いた愚庵は、出家を決めたという。「弔うことが、両親や妹のためになると考えたのだろう」と小野田さんはおもんぱかる。

 京都に住宅を構え禅の道を極めながら、歌人としての活躍を見せた。短歌には両親や妹への思いをしたためたものもある。万葉調の優れた作風は、俳人正岡子規にも影響を与えたとされている。

 歌を詠むために

 住宅はいわき市が管理しているが、愚庵会は定期的な清掃活動や草刈りなどを行い、ここを守り続けてきた。2019年に国の登録有形文化財になったことを受け、記念碑を建立。今年3月にかやぶき屋根の一部補修工事を行った。

 小野田さんの案内で、復元された住宅を訪ねた。門をくぐると、風情あるたたずまいに時代を超越したかのような不思議な感覚に包まれた。住宅は数寄屋建築で、日本庭園の最高の名園とされる京都府の桂離宮をモチーフにしているという。

 入り口の引き戸を開けて一歩踏み込むと、目の前には台所と囲炉裏(いろり)がある。高床式のため階段を数段上がると、居間(6畳)と瞑想(めいそう)室(2畳)、寝室(4畳半)がある。障子を開くと、新緑が深まる庭園が風景画のように眼前に広がり、美しさに思わず息をのんだ。

 「京都の住宅で使われていた土や庭石を使用したといわれている」と小野田さん。壁は淡い薄茶色の土壁で、柱には愚庵が好んだとされる竹をはじめ、スギやマツなどさまざまな材木を使用している。庭園には、石で組まれた池もある。現在は水を張っていない状況だが、「愚庵は庭の池に映り込む月を見ながら歌を詠むために、高床式の造りにした」と解説してくれた。その造りの全ては、最高の状態で歌を詠むためのものなのだろう。

 瞑想室に座り、そっと目を閉じてみた。小鳥のさえずりや新緑の木々の匂い、住宅を吹き抜ける涼しい風が心地良い。「自ら設計しただけに、愚庵のさまざまな思いが建物に染み込み、ここに生きている」と小野田さん。時代を超えて今なお、古里の偉人をしのび、語り継ぐ大切な場所だ。(緑川沙智)

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 旧天田愚庵邸 1854(嘉永7)年に磐城平藩士の五男として生まれ、明治時代中期に活躍した歌人天田愚庵の復元住宅。高床式のかやぶき平屋で、2019年に国の有形文化財に登録された。いわき市松ケ岡公園内にある。住所は同市平字古鍛冶町47の1。茶会などにも利用できる。利用無料で、駐車場は50台ある。問い合わせは市文化振興課(電話0246・22・7546)へ。

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NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画 

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。