【建物語】なかむらや旅館・福島市 歴史のバトンつなぐ

 
存在感のある「なまこ壁」。建物内にあるのは珍しい

 宮城県の鳴子、秋保とともに奥州三名湯の一つに数えられる福島市の飯坂温泉。最盛期に約130軒あった旅館やホテルも約40軒に減ったが、温泉街を流れる摺上川は今も変わらず温泉情緒を引き立てる。「飯坂温泉発祥の地碑」が立つ湯沢地区は、飯坂温泉で最も歴史を体感できるエリア。木造建築の共同浴場「鯖湖湯(さばこゆ)」も知られているが、なかむらや旅館の美しい白壁はことさら鮮やかだ。

 湯沢地区は、飯坂温泉の玄関口・福島交通飯坂線飯坂温泉駅から徒歩約5分でたどり着く。なかむらや旅館の白い外観は総漆喰(しっくい)仕上げ。入り口正面には帳場がある。「今で言えばフロントね」。大女将(おかみ)の高橋武子さん(77)が解説してくれた。

遊び心光る装飾

 なかむらや旅館は国登録有形文化財だ。国の文化財に宿泊できる機会はそう多くない。大女将の案内で旅館の中を歩くと、その凝った造りに驚かされた。

 まず目に飛び込んだのは、建物の中にあるなまこ壁。なまこ壁は土蔵の外壁に使われる日本伝統の壁塗りの手法だが、建物の中で壁として使われているのを見たことがない。江戸末期建築の「江戸館」に「明治館」を増築(1896年)した際にこうした造りになったのだろうか。明治館の棟梁(とうりょう)は桑折町から伊達市に移された国指定重要文化財「旧亀岡家住宅」と同じ小笠原国太郎。大女将に尋ねたが、「ご先祖さまに聞いておけば良かったわね」と笑って返された。

 「ぜひ、ここを見てほしい」と案内してくれたのはトイレ。温水洗浄便座は現代風だが、ドーム型でガラス戸や壁画、天井画で装飾された個室は「どうしてここまで」と疑問を感じるほど凝った造りだ。昔の職人の遊び心なのか。

 建物内部はケヤキをぜいたくに使い、客間の床の間は紫檀(したん)や黒檀(こくたん)、鉄刀木(たがやさん)、黒柿など現代では手に入らない貴重な材木で構成されている。床の間の床に、亀やカエルの形をした装飾を見つけた。これも職人の遊び心か、それとも縁起を担いでのものか。いずれにしても、初めて目にするものばかりだ。

 有名ブランドのカタログの撮影にも使われたという階段がある。人が歩く真ん中だけが自然にすり減って丸くなっており、ここが最も歴史を感じさせる場所かもしれない。

揺るぎない決意

 風情あふれるこの旅館は、東日本大震災で大規模半壊と認定された。多くの人から「存続はもう無理だ」とも言われたが、歴史を守ろうという大女将の決意に揺らぎはなかった。周囲から「目が据わっている」と言われるほど必死に食い下がり、別の老舗旅館から託された格子の引き戸や顧客から贈られたケヤキの柱なども活用して修復を進め、130年の歴史を次につないだ。「復興の柱」と呼ぶ補強に使った一部の柱は、震災の記憶としてあえて着色していない。

 大女将は震災後の危機から建物を守ったことを「宿命」と感じることがある。「代々の先祖が守って今があり、私はこの瞬間、ここにちょこんと座らせていただいているだけ」と、歴史がこの先も続いていくことを願う。ただ、展示館など旅館以外の用途で使うことには否定的だ。「もしそうしたら、建物が『私は見せ物じゃない』と言うはず。ここで人が寝泊まりし、大火も戦争も震災も乗り越えてきた。これからもそうしたい」と思いを口にする。その言葉にほっとした。(伊藤俊憲)

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 なかむらや旅館 江戸末期建築の「江戸館」と明治時代中期建築の「明治館」の2棟からなる。俳人・松尾芭蕉が「奥の細道」紀行でこの地を訪れる前年の1688(元禄元)年創業という花菱屋を買い受け、初代阿部與右衛門が1890(明治23)年に「なかむらや」を創業。現在は7代目。住所は福島市飯坂町字湯沢18。問い合わせは、なかむらや旅館(電話024・542・4050)へ。

なかむらや旅館の地図

NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。