【建物語】喰丸小・昭和村 外の視点が残した宝

 
旧木造校舎を改修した喰丸小。さまざまな人たちが交流する場として活用されている

 山々の季節の彩りを背に大イチョウ、旧校舎が織りなす昭和時代を思わせるような風景は、訪れる人を魅了する。小学校の木造廃校舎の改修を重ね、3年前に生まれ変わった交流・観光拠点施設「喰丸(くいまる)小」は昭和村のシンボルだ。観光スポットだけでなく、「学び」「暮らし」「交流」「産業」などさまざまな場面で、人々が自由に交流する集いの場でもある。

 三度の解体危機

 旧喰丸小は1937(昭和12)年、6教室の2階建て校舎として建設された。学校に通った喰丸区長の斎藤克之さん(77)は「当時は児童が100人ぐらい。学芸会は教室の仕切りを取って開かれ、イチョウの木に登って遊んだ」と振り返る。戦後から高度成長期にかけて児童数が増えた。最盛期には全校生で100人を超えたため、64年に校舎を増築。しかし、それ以降は都市部への人口流出などで過疎化が進み、児童数は減少、80年に廃校となる。村に幾つもあった小学校が解体される中、旧喰丸小だけは残った。

 老朽化した旧校舎には何度も解体の話があったが、ここに魅せられた人たちの思いを受け存続してきた。「解体の話になると、何かと関わってきた。(旧喰丸小に)気に入られているというか、何か縁を感じていた」と話すのは当時、村職員だった村長の舟木幸一さん(65)。

 最初に解体の危機を逃れたのは92年だ。文化人類学者の山口昌男さんが地方からの文化情報発信基地「喰丸文化再学習センター」を開所した。舟木さんは「いろいろな事業をやる時には村民が参加して一緒に物事をつくり上げていこう、という話に乗っかった」と話す。これは約14年間続いた。その後再び解体の危機にさらされた時は、映画「ハーメルン」撮影の話が飛び込んできた。映画の舞台となる廃校を探し求め、全国を歩いていた坪川拓史監督が2009年、旧喰丸小にたどり着いた。解体は既に決まっていたが、撮影終了まで保存されることになった。映画の完成までは東日本大震災などを経て約5年を費やした。

 そして三度目の正直。いよいよ旧校舎の解体に踏み切るはずだったが、村内外から保存を希望する声が上がった。村民アンケートでは「朽ち果てていくのがしのびない」「財政的にも厳しく、保存に要する経費も大変」などとして「壊す」方の意見が若干多かった。一方、村外からの反応は「昭和村の原風景になじんでいる」「懐かしい薫りがする」...。旧校舎が村の大きな財産であることを村民に気付かせてくれた。

 再び人集う場に

 賛否の意見がある中、村は施設が人々の交流を生み出し、村民の希望になるよう「継続し利活用を進める」と決定した。インターネット上で資金を募るクラウドファンディングなどを利用し約1億6500万円をかけて改修。改修前の雰囲気を残すため、外壁材などを再利用し、県産材を使って木造建築の温かみを演出した。

 村の観光交流係と観光協会の事務所を施設内に構え、学校の教室を再現した部屋や図書室なども設けた。敷地には飲食店「蕎麦(そば)カフェSCHOLA(スコラ)」もある。現在は村民が教室を借りて手仕事をしたり、自慢の逸品を販売したりする。「喰丸小は村内外の人たちにとって大切な宝物になった」と斎藤さん。いろんな可能性を秘めた集いの場に寄り添い、村の誇りとして後世に受け継いでいく。(渡辺司)

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 喰丸(くいまる)小 1937(昭和12)年に建設、80年に廃校の旧喰丸小を改修し、2018(平成30)年に開所した昭和村の交流・観光拠点施設。木製の机や教科書、掲示物など昭和時代の備品が残る。展示やイベントなどに使用できる集会室もあり予約で利用可。開館は午前9時~午後5時。休館は月、火曜日(祝日の場合は翌日が休館)、年末年始。入館無料。住所は昭和村喰丸字宮前1374。電話0241・57・2124。

喰丸小

 NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。