【建物語】蛇の鼻御殿・本宮市 妥協なき美と技の館

 
本宮の豪農旧伊藤家の別荘として建てられた蛇の鼻御殿。往時の栄華を今に伝える貴重な建物として保存されている

 四季折々の花が楽しめる「花と歴史の郷 蛇の鼻」(本宮市)。県内有数の観光庭園として定着した園内の高台に「蛇の鼻御殿」は悠然とたたずむ。

7回作り直した

 御殿は旧本宮町の豪農伊藤弥(わたる)(1867~1918年)の別荘として、約10年の歳月をかけて1904(明治37)年に建てられた。弥は、昨年のNHK朝ドラ「エール」で話題となった作曲家古関裕而(福島市出身)の親友の歌手伊藤久男の父に当たる。町長や県会議員を長く務めたほか、福島競馬場の誘致にも尽力した人物だ。

 「御殿を建築している時、弥さんが来るとみんな戦々恐々としていたようです。気に入らないと壊されてしまって、完成まで部分的に計7回作り直したと聞きました」。1950(昭和25)年に伊藤家に嫁いだ伊藤エキさん(92)が教えてくれた。

 妥協を許さなかった弥。その姿勢は建物の随所に反映されている。まず、目を引くのが正面玄関の彫刻群だ。日光東照宮(栃木県日光市)を参考に制作されたと言われ、虎や龍をはじめ、「眠り猫」などが緻密に表現されている。

 建物には、今では入手困難とされる希少な銘木がふんだんに使われている。ケヤキの一枚板の廊下に加え、黒紫色のしま模様が美しい黒柿が、階段や壁板だけでなく、トイレの床にさえも使われている。その仕様は歩くのに少し気を使ってしまうほどだ。

 全6室にわたる広間には、初代首相伊藤博文や三条実美、木戸孝允らの書が掲げられている。圧巻なのは棚倉町出身で狩野派の画家勝田蕉琴(しょうきん)が描いたふすま絵「磯に千鳥」。スギの一枚板12枚に連なる大作だ。勝田は大正天皇から依頼を受けて、同じ題のふすま絵を皇居にも描いている。作品を区別するため皇居には100羽の千鳥を描いたが、御殿には99羽しか描かなかった、と言われている。

 「御殿が完成した時には県内の著名人100人を呼んで盛大にお披露目会が開かれた」とエキさん。2階には、100人分のお膳や座布団が用意され、当初は結婚式などでも使われていたという。

開かれた場所に

 その後、弥が死去すると、跡継ぎとして衆院議員や戦後初の本宮町長を務めた次男幟(のぼり)(1898~1963年)が御殿を使うようになる。ただ、このころには結婚式や宴会のように大勢で使われることはなくなった。御殿の中に入れたのは、接待が必要な著名人数人だけに限られた。「私が嫁いだ時には、御殿は本当にお偉いさんしか入れない特別な場所だった」とエキさんは懐かしそうに振り返った。

 御殿を含めた経営は幟の死去後の64年、伊藤家から現在の運営会社である伊東商事(郡山市)に引き継がれた。同社は数年をかけて多くの人に見てもらえるよう再整備し、蛇の鼻を観光庭園として開園させた。国の登録有形文化財の制度が始まった96年、県内で初めて登録を受けた建造物の一つが、蛇の鼻御殿だった。

 現在、御殿の保存に当たる伊東商事社長の伊東孝弥さん(65)は「一度ここを見た観光客はだいたい驚いて帰って行く。本宮の歴史をつくった伊藤家の当時の繁栄を表す意匠を尽くした建物だ」と胸を張る。「保存にはお金もかかり、難しさもある。それでも多くの人に見てもらうことで文化的な価値を伝えていきたい」。人の目に触れてこそ、建物の歴史は紡がれていく。(佐藤智哉)

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 蛇の鼻御殿 伊藤家の別荘として使われていた時の呼称は「蒼龍山荘百香院(そうりゅうさんそうひゃっかいん)」。本館と蔵座敷が連なる木造2階建て。外観、内部ともに特異で類例が少ない建築物とされる。御殿内では伊藤久男展を開催中。東北道本宮インターチェンジから車で約10分。営業時間は午前9時~午後5時。入園料は高校生以上700円、小・中学生400円。問い合わせは蛇の鼻(電話0243・34・2036)へ。

蛇の鼻御殿の地図

NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。