【建物語】旧南会津郡役所・南会津町 憧れの中に日本の心

 
明治初期の洋風木造建築の旧南会津郡役所。現在の場所に移築・復元され、地域住民の手で大切に守られている

 南会津町の中心市街地を見下ろす愛宕山の麓にたたずむ「旧南会津郡役所」。江戸時代のかやぶき屋根が姿を消し、西洋文化が花開いた明治期に誕生した。現代建築が軒を連ねる市街地で今もなお、文明開化の薫りを漂わせている。

熱い声受け存続

 1884(明治17)年に会津三方道路が整備されると会津若松に向かって車道が開かれ、南会津地方の交通や産業、経済の発展が期待された。新時代到来の機運が高まる中、郡内の有志たちは県に郡役所の新築を要望。県費に加え郡民の多額の寄付金が投じられ、南会津郡役所は完成した。

 その後、県南会津支庁などとして南会津郡発展の中心的役割を果たした。1970(昭和45)年、県田島合同庁舎(現南会津合同庁舎)が新築されたことで、その使命を終え、取り壊しの危機にさらされた。しかし、大火をも乗り越えた歴史的な建物を残そうという地元の熱心な要望を受け、合同庁舎隣に移築・復元されることになった。建物は分解せず引家(ひきや)で移動させたため、今もそのままの姿をとどめている。

 「郡役所周辺には花街があって、芸子さんもいたみたい」。現在の管理人である中村美智子さん(65)が教えてくれた。南会津郡の中心として郡役所のあった南会津町田島地域には多くの役人や商人たちが往来し、自然と花街が形成されていったという。大正時代にはカフェなどが流行、郡役所は華やかな町並みに囲まれるようになっていった。

新しい役割担う

 当時の活気を想像しながら正面玄関へと足を運んだ。外観はヨーロッパの建築物を思わせるたたずまいで、ひときわ存在感を放っている。豪華な造りのギリシャ建築を思わせる円柱と玄関扉の上部に輝く扇形のステンドグラスが来訪者を迎える。高い天井や黄金色に輝く金属製のドアノブ、漆喰(しっくい)の白い壁、上げ下げの窓...。その装飾や備品の一つ一つが異国情緒を感じさせる。

 「日本の建築様式も取り入れられているの」と中村さん。屋根に目を凝らすと、日本のお城などで使われる千鳥破風(ちどりはふ)が施され、内部には畳も使われている。中村さんは「西洋の文化を取り入れても日本人なのね」と笑顔を見せた。まさに「和洋折衷」。文明開化の風に触れたような気持ちになった。

 中庭を横目に奥の部屋へと進むと、扉の向こうに鮮やかな赤絨毯(じゅうたん)が広がる。郡長室だ。当時使われていたとされる木製の椅子が郡長の机を囲む。中村さんによると、歴代19人の郡長が手腕を振るったとされ、凛(りん)とした郡長の大礼服も展示されていた。第14代郡長浜田清心氏の遺品で、鹿児島の子孫から寄贈を受けたという。

 現在の旧南会津郡役所は資料館としての役割を担っている。裏手にある鴫山城跡や1720(享保5)年に起きた一揆「南山御蔵入騒動(みなみやまおくらいりそうどう)」に関する史料など郡内の歴史を肌で感じることができ、地域住民の憩いの場にもなっている。

 最後に急な階段を上り、玄関上部の2階へと向かった。数十畳ほどの大会議室が広がり、かつての鹿鳴館の舞踏会を思い起こさせた。最近では情緒ある郡役所に注目が集まり、結婚式の写真の「前撮り」に利用されることもあるという。「郡役所は地域の宝。多くの人が関わる場所にしていきたい」。13年にわたって施設の案内を続けている中村さんは意気込む。"現代の郡長"が歴史をつないでいく。(中田亮)

旧南会津郡役所

 旧南会津郡役所 1885(明治18)年に落成した。木造一部2階建て内庭式で西洋の建物を模した擬洋風(ぎようふう)木造建築。1970(昭和45)年、県田島合同庁舎(現南会津合同庁舎)建設に伴い、合同庁舎隣に移築・復元された。県指定重要文化財。入館料は大人200円、高校生150円、小・中学生100円。営業は午前9時~午後4時。火曜日休館。住所は南会津町田島字丸山甲4681の1。問い合わせは旧南会津郡役所(電話0241・62・3848)へ。

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NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。