【建物語】日中線記念館・喜多方市 心の駅、あの頃のまま

 
旧国鉄日中線の廃線のため廃駅となった熱塩駅舎は、「日中線記念館」として保存されている(矢内靖史撮影)

 喜多方市中心部から北に約15分車を走らせると、熱塩温泉街のそばの丘の上に、大きな赤い屋根の建物が見えてくる。少し古びた「日中線記念館」の看板が掲げられ、まるで欧州の古民家のような外観だ。レトロな雰囲気は、まるで昭和の時代にタイムスリップしたような感覚になる。

 日中線記念館は、1984(昭和59)年に廃線となった旧国鉄日中線の最北端の駅「熱塩駅」を改修し、87年に開館した。駅舎は木造平屋で、当時珍しいメートル単位の間取りで38年に建設された。欧州風の設計で、美しい曲線を描いたえんじ色の屋根がひときわ目を引く。窓が多く設置され、差し込む光が明るく落ち着いた雰囲気をつくり出している。

古時計、今も現役

 実際に使われていた改札口や年季の入った駅のホームが往時をしのばせる。待合室に飾られている古時計は、一つ隣の会津加納駅に置かれていたもので昭和、平成、令和と時代を超えてもなお、時を刻み続ける。同館を管理する"駅長"の須田崇さん(76)は「当時の駅舎が今もあるのは熱塩駅だけ。雪の多い地域で洋風の駅舎が残るのは珍しい」と思いを寄せる。

 廃線から約40年経過した旧国鉄日中線は、11.6キロの短いローカル路線だった。建設運動が始まったとされるのが1892(明治25)年ごろで、当初は栃木県から山形県米沢市を結ぶ「東北中央縦貫鉄道野岩羽線」の一部として計画された。しかし、日中戦争や太平洋戦争が激化したことで計画は中止に。結果として、喜多方、会津村松、上三宮、会津加納、熱塩の5駅のみを結ぶ路線となった。通勤・通学に加え、与内畑鉱山で採掘した石などを運ぶため、多くの人に利用されていたが、自家用車の普及や鉱山の閉鎖により、84年に廃線となった。

 「田園風景や春の桜を眺めながら運行していたのが思い出される。自分の鉄道人生の基礎になった」。若手時代に日中線の列車係として勤務した経験のある藤森誠一さん(64)=JR会津若松寮支配人=は懐かしそうに振り返る。

思い出話に花咲く

 記念館として生まれ変わった駅舎。最近では、敷地内に残る当時の客車が、大ヒットアニメ「鬼滅(きめつ)の刃(やいば)」の映画に登場したものに似ている、として注目を集める。客車の中では、会津加納―熱塩間で録音された実際の列車が走る音を聞くことができる。「(日中線は)SLが定期運行していた本州最後の場所。『鉄道マニア』たちに愛された路線だった」と藤森さんが教えてくれた。座席に座って音に耳を澄ませ、当時の様子に思いを巡らせてみた。

 記念館には全国各地から観光客が訪れるほか、地域住民らが集まり、思い出話に花を咲かせる。館内には、来館者が自由に思い出や感想を書き残す「思いのままの自由帳」が置かれている。「30年ぶりで懐かしさで涙が出た。ここだけはもう一度訪れたかった」「恋人と来ました。また彼と来て思い出を増やしたいです」―。

 「ここに来ると当時の景色が浮かんでくるんでしょうね」と須田さん。「日中線は地域の生活を支えたかけがえのない路線。今も多くの人に愛されているのはうれしい」と笑顔を見せる。時代が移り変わり、その役割は変わっても、世代を超えて人々から愛される建物は、後世につないでいきたい地域の宝だ。(斎藤優樹)

日中線記念館の地図

 日中線記念館 日中線の廃線を機に熱塩加納村(現喜多方市)が国鉄(現JR)から旧熱塩駅を譲り受け、1987(昭和62)年に改修した。周辺は緑道公園で桜の名所として知られ、春の季節には多くの観光客が訪れる。場所は喜多方市熱塩加納町熱塩字前田丁602の2。開館時間は午前9時~午後4時。毎週月曜日と12月29日~翌年1月3日が休館。問い合わせは市教委文化課(電話0241・24・5323)へ。

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NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。