【建物語】御倉邸・福島市 街の足跡、細部に宿る

 
支店長の住まいと接客施設の機能を持っていた建物。写真の和室は会議室として使われた

 江戸時代の福島藩の本拠「福島城」のあった現在の福島市の県庁周辺は、阿武隈川で荷物を運ぶ「舟運(しゅううん)」の拠点だった。荷物の揚げ降ろしをする「河岸(かし)」が設けられ、近くには、福島藩はもちろん、舟運を利用する会津藩や米沢藩などの米蔵があった。経済を支える重要拠点は「御倉町(おぐらまち)」と呼ばれた。

 時代は変わり1927(昭和2)年、日本銀行福島支店長の役宅が建てられ、99年まで歴代支店長が暮らした。戦前の日銀役宅が現存するのは本県と新潟県の二つだけと貴重だ。市が2000年に取得し、一般公開したのが「御倉邸(おぐらてい)」である。名称は公募で県内外から187点が寄せられた。採用された市民は「由緒ある町名にちなんだ」と理由を語った。

 接客機能備える

 まずは日銀福島支店の歴史や時代背景から。本県は江戸時代から全国有数の生糸産地として栄えた。明治時代には欧米向けの良質な生糸を入手しようと全国の商人が県内に拠点を設けた。ちなみに本県の1882年の物産価額(農産物や工業製品の生産額)は1900万円で東北1位、人口も1907(明治40)年に122万人と東北一の規模に急成長している。

 当時の福島市は、日本鉄道(現東北線)と官鉄奥羽線が合流する拠点として商取引を支える銀行が発展した。金融取引が活発で、銀行は預金を上回る貸し出しを行うなど恒常的に資金が逼迫(ひっぱく)。地元経済界は資金調達を便利にするため日銀誘致に動き、1899年に東北初、全国8番目の日銀店舗として日銀福島出張所が開設された。

 1911年に福島支店へと昇格し、職員数増加のため13年に新店舗が建設された。これと同時期に御倉町に支店長(所長)の役宅を構えた。当初は既存の建物を借りたが、27年に建て替えられて現在の姿となった。役宅は住まいだけでなく接客機能も備え、営業所が被災した際の仮店舗の役割も兼ねていたため大規模な建物となった。実際に仮店舗として使われたことはないが、戦時中は疎開した日銀職員の寄宿舎となり、戦後は連合国軍総司令部(GHQ)が使用した。

 船底をイメージ

 では、御倉邸を見てみる。純和風建築の木造平屋で、中庭を中心に主に11部屋あり、こだわりの細工が施されて昔ながらの雰囲気を今に残す。特に目を引くのが、福島が舟運や生糸で栄えたことから、船底をイメージして造られた廊下の天井や、機織り機の一部「おさ」がデザインされた欄間だ。また、今は見られない電話室や人力車の車夫の待機場所「供待(ともまち)」も残され、阿武隈川を借景にした日本庭園の景観も良い。

 「福島の中心部は開発が進んで昔の面影がほぼなくなっているが、御倉邸は福島の歴史を今に伝える貴重な存在」。御倉邸の指定管理者であるNPO法人御倉町かいわいまちづくり協議会の鈴木香さん(58)はその魅力を語る。役宅時代は限られた人しか足を踏み入れることができなかったが「ときどき歴代支店長の子孫が訪れて、かつての暮らしぶりや思い出を話していく」という。

 一般公開から20年が過ぎた。定期的にお茶会や展示会などさまざまなイベントも開催され、今では水辺にある市民憩いの場となった。鈴木さんは「多くの市民に御倉邸を知ってほしい。コロナ禍ではあるが、工夫しながらさらに活用を図っていく」と意気込む。(国分利也)

御倉邸・福島市

 御倉邸 福島市が旧日本銀行福島支店長役宅を取得し一般公開している。茶会や演奏会などのイベントが開かれ、阿武隈川の景観を楽しめる展望デッキもある。お休み処(どころ)「おぐら茶屋」では軽食や土産物を販売。写真撮影や展示会、会議の場所としても有料で貸し出している。住所は福島市御倉町1の78。開館時間は午前10時~午後6時。毎週火曜休館。見学無料。問い合わせは御倉邸(電話024・522・2390)へ。

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 NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。