【建物語】福島新町教会・福島市 温かい心が宿る場所

 
洗練されたデザインが印象的な福島新町教会。東日本大震災を乗り越え福島の歴史を今に伝えている(永山能久撮影)

 福島市の県庁から信夫山に向かう通り沿いに、洗練されたデザインが印象的な「日本基督教団 福島新町教会」がたたずむ。今年で築94年を迎えるが、東日本大震災で被災し、一時解体も検討された。存続を願う人々の熱意によって危機を乗り越え、歴史ある建物で信仰のともしびを守り続ける。

 明治に経済発展を遂げた同市は貴重なキリスト教建築物が立ち並ぶ「教会の街」の一面もあった。最古は1905(明治38)年建設の福島聖ステパノ教会で、朝ドラ「エール」の撮影にも使われた。日本基督教団福島教会、ノートルダム修道院は東日本大震災で被災し、どちらも取り壊された。

 東北で唯一現存

 福島新町教会の現会堂は1928(昭和3)年、米国出身のヴォーリズの設計で建てられた。ヴォーリズは伝道のため05年に来日、建築家を志していたこともあって精力的に日本各地の建物の設計に携わった。教会をはじめ住宅や学校、デパート、ホテル、病院など幅広く、手掛けた件数も多い。実は初めて教会施設を設計したのは前述の福島教会。その後約400メートル離れた場所に福島新町教会を建て、今は東北唯一のヴォーリズ作品となった。

 「福島新町教会はヴォーリズの全盛期の作品で、とっても優しいのよ」。牧師の瀧山勝子さんが建物を案内してくれた。大きなアーチ窓やスパニッシュ様式などの特徴が随所に見られる。正面玄関がある3階建て部分は戦時中の道路拡張で内側に約4メートル移され、現在は建設当初の姿ではない。内部には改築の痕跡が残り、2、3階に上がるには迷路のような構造となっている。

 礼拝堂は天井が高く、講壇や漆喰(しっくい)の白壁から荘厳さが漂う。窓にはドイツ製の当時のダイヤガラスが使われ、日が差し込むと神々しさが増す。意外だが2階に和室がある。「和室は洋風建築に慣れていなかった日本人に合わせたもの。ヴォーリズの建築にはたくさんの配慮があって温かい人間性が表れているんですよ」と瀧山さん。

 向かいに古関家

 東日本大震災では瓦が落ち、煙突が傾き、壁に亀裂が入った。「建物をどうするか」。瀧山さんは悩んだ。信徒のよりどころであり、母親のおなかの中にいる時から祈りに来ていた、と語る信徒もいるほど。震災1カ月半後の診断で修復可能と分かると、すぐに準備に取り掛かった。約1年にわたる工事は2012年11月ごろに完了し、ほぼ元通りになった。修復費は各方面からも支援を受けた。

 「福島の方々が長年支えた教会を後世に残せて良かった。それに亡き夫も大切にしていましたから」。瀧山さんは東京から夫婦でここに赴任し今年で38年。2005年に急逝した9代目牧師の夫靖文さんに代わって10代目となった。「多くの試練はあったが、神の恵みによって今日があり、多くの支えに感謝している。教会をしっかり守っていきたい」と願う。

 話は変わるが、ずっと気になっていたのが作曲家古関裕而との関係性だ。新町教会の向かいに少年時代の古関が引っ越し、川俣銀行に就職するまで暮らした。古関の同級生が「(古関は)教会の鐘の音を毎日聞いていた」と証言しており、新町教会の鐘の音が「長崎の鐘」などの名曲の原点になっていると推察されてきた。瀧山さんに尋ねると、「教会には昔から鐘がなかったようだ」とのこと。古関少年の真意は「神のみぞ知る」らしい。(国分利也)

福島新町教会・福島市

 福島新町教会 始まりは1897(明治30)年5月の米国人宣教師の伝道にさかのぼる。最初の受洗者である福島市の信徒所有の建物を借り、翌98年9月から本格的に活動を開始。1908年に初の会堂が市中心部に建てられ、28年に現在の会堂が完成した。今年で創立124年、会堂は築94年。1984年3月まで幼稚園を運営していた。教会見学は事前連絡が必要。住所は福島市新町8の6。電話番号は024・522・3593。

          ◇

 NHKラジオ第1「こでらんに5 next」で毎週木曜にコラボ企画

 建物語は福島民友新聞社とNHK福島放送局の連携企画です。NHKラジオ第1で毎週木曜日に放送される『こでらんに5 next』(休止の場合あり)のコーナー「ふくしま見聞録」で紹介される予定です。