【5月15日付社説】沖縄復帰50年/本土が苦難に向き合うとき

 

 沖縄県はきょう、1972年の日本復帰から50年を迎えた。沖縄は、復興の陰でいまだ米軍基地問題や本土との経済格差に苦悩している。私たち日本人は、沖縄の痛みを肌感覚で捉えているか、改めて問い直す節目としたい。

 太平洋戦争の末期、米軍が圧倒的な兵力で沖縄本島に上陸し、日本で唯一の地上戦「沖縄戦」が始まった。「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の攻勢に対し、日本軍は本土決戦を遅らせるため、持久戦を展開した。少年・少女、乳幼児を含む多くの住民が戦闘に巻き込まれ、犠牲者は日米双方で約20万人に上った。沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。

 戦争を知らない世代も、住民が犠牲となり敵国の制圧下に置かれる悲惨さは、ロシアによるウクライナ侵攻で見せつけられただろう。国際情勢が激動する中で、平和を守る方策を国民一人一人がわがこととして考えねばならない。

 沖縄が負った傷はそれだけではない。米軍は住民を収容所に強制的に隔離し、奪った土地に基地を造った。占領下では、朝鮮戦争の勃発など国際情勢の変化に伴い、新たな基地が建設された。米統治下の27年間は、戦時中よりも厳しい道のりだったと指摘される。

 日本への復帰運動で沖縄の人々は「基地のない平和な島」を願った。しかし、負担軽減は願ったほど進まず、現在、国内にある米軍基地の7割が沖縄に集中している。戦闘機が小学校に墜落し児童らが死傷した事故をはじめ、基地があることによる事件や事故は後を絶たない。基地周辺の騒音、環境問題も深刻だ。不平等とされる日米地位協定が重くのしかかる。

 一方、米統治下で社会インフラの復旧や産業復興が進まず、基地関連の収入が経済の柱だった状況は、50年で変わった。国や県の振興計画で、観光が主力産業に成長し、基地への依存度は下がった。

 若い世代が直面しているのは、観光業や公共事業頼みで他の産業が育たず、1人当たりの県民所得が全国最下位にある状況だ。完全失業率や母子世帯の割合は全国で最も高く、子どもらが貧困の連鎖にあえいでいる。

 南国のリゾートという明るいイメージは沖縄の一面に過ぎない。観光や農産物流通で縁を築いた福島は、現実を見つめ、さらなる相互理解へ交流を深めるべきだ。

 基地への認識や復帰後の評価は、沖縄でも立場や世代で異なる。50年で複雑化した沖縄の問題を私たちは一地域のものに矮小(わいしょう)化せず、平和で豊かな生活の実現をともに目指す姿勢が求められる。