新田選手“涙の初舞台”4年後へ 自転車・チームスプリント
「故郷への恩返し」のため、250メートルバンクのたった1周に全てを懸けた。アテネ五輪以来2大会ぶりのメダル獲得を狙った自転車男子トラックのチームスプリント1回戦で敗退した日本。1走を担った新田祐大選手(26)=会津若松市出身、白河高卒=は初の五輪でメダルを狙い、必死のレースを繰り広げた。
「メダルを取ることで福島を良い意味でアピールできればと思ってきた。申し訳ない」。新田選手は目に涙を浮かべた。
4月の世界選手権のチームスプリントのメンバー3人から外れた。その世界選手権で日本は日本新記録を樹立。さらに代表選考直前の国内選考会250メートルタイムトライアルで2位に終わり、一時は五輪出場を諦めた。「代表発表前に白河で激励会をしてもらった。その後、吹っ切れて気持ちを切り替えることができた」。いつも励ましてくれたのは地元の人たちだった。
「好きでやってる。やらせるだけやらせよう」と父一則さん(56)が小学3年の新田選手にマウンテンバイクを与えた。それから17年。憧れだった競輪選手の一言から、競技が盛んな白河高に進学。師匠の班目秀雄さん(68)や高校の恩師と出会い、下宿生活をして練習に励んだ。
初の五輪は涙で終わった。「オリンピックは勝てば楽しいが、負けると悔しい。4年後に向けて強化しなければならない部分が多い」。悔しさを糧に、夢の続きをリオで見せるつもりだ。
(2012年8月4日 福島民友ニュース)
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