平野歩夢の「金」、原点は南会津 重圧打ち破った幼少期の経験

 
金メダルを手に4年間の歩みを振り返った平野歩夢=張家口

 北京冬季五輪スノーボード男子ハーフパイプで金メダルに輝いた平野歩夢(TOKIOインカラミ)が12日、張家口メディアセンターで記者会見に臨んだ。スケートボードとの"二刀流"を続ける不安や重圧に打ち勝てた要因は、本県などのスキー場で基礎を養った幼少期にあったと打ち明けた。

 平野歩は、平昌(ピョンチャン)大会から4年間の歩みを「(子どものころに感じた)スキー場を下から上を見上げるような感覚だった」と表現。日々過ぎていく時間や限られた調整期間、不安と闘う生活は「思い通りにいかない日々だった」と語った。

 そんな中、"二刀流"という未知の世界に挑んでいる姿と、南会津町の会津南郷高原スキー場などで幼少期にスノーボードの技術向上にがむしゃらに取り組んでいた自らの姿が重なったという。「振り返れば何かを諦めたことは一度もなかった。負けても何も怖くなくなって、自分との闘いに近づけたと思う」と語った。

 11日夜に行われたメダル授与式では、金メダルを包み込むように両手に抱え、表彰台の中央で君が代を聞いた。国歌が流れる会場で「感動的な雰囲気を感じた」と重みをかみしめていた。

 五輪入りする4カ月ほど前から、海外での生活が続いていたという平野歩。長い競技生活の中でも最長の海外暮らしだったと明かし「実家で家族に会ったり、コメなど日本のご飯を食べたりしたい」。雪上で見せた鬼気迫る表情とは一転、柔和な笑顔を見せた。(中国・張家口=本社報道部・折笠善昭)

 新たな道、ゼロからスタート

 悲願の金メダルを手にした平野歩夢は偉業達成から一夜明けて心境を語った。

 ―"二刀流"を続けた4年間だった。
 「この4年間は今までの五輪とは全然別物だった。常に限界にぶつかり、そこにどう向き合うか。大き過ぎるチャレンジだったが、自分に負けなかった」

 ―決勝2回目の採点結果についてはどう考えているか。
 「僕が思っている以上に周りの人もそう思ってくれていて、中には怒っている人もいた。競技には命を張ってリスクを背負っている。説明は改めて聞くべきだと思うし、スルーしない方がいい。採点の評価を整えるべきで、そんな時代になっているのではないか」

 ―"二刀流"の挑戦を金メダルで終えた。ここはゴールなのか、または通過点か。
 「ここからまた何か自分の新たな道がゼロからスタートする。大きな大会のピークは過ぎたが、リセットしていきたい気持ちだ」

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