避難先から福島へ...祖父母の支えに感謝尽きず 福島商・高橋公

 
主将として最後までチームをけん引した福島商の高橋公=17日午後、あづま球場

 主将として、4番としてチームを最後まで引っ張った。福島市のあづま球場で17日に行われた夏の高校野球福島大会3回戦。福島商の高橋公太(こうだい)(3年)は、家族や仲間、地元、支えてくれたさまざまな人たちへの感謝の思いを胸に、持てる力をぶつけた。

 古里は田村市都路町。2011(平成23)年の東京電力福島第1原発事故で一時、避難区域となった地域だ。高橋公も山形県に避難した。約半年の避難生活を終えて古里に戻ると、小学4年生から地元のスポーツ少年団で野球を始めた。

 恵まれた体格からすぐに頭角を現した。中学時代も存在感を見せつけ、県内の私立高校の目に留まったという。しかし、選んだのは過去8度の夏の甲子園出場を誇る古豪福島商。「県立高校で甲子園に行きたかった」と一般入試を経て進んだ。

 自宅から高校までの距離は約60キロと遠かったため、福島市松川町の祖父母の家から通った。最寄り駅への送迎や毎日の弁当の準備、洗濯―。祖父母に日常生活を支えてもらいながら、甲子園を目指して野球に打ち込んだ。「2人の支えなしではここまで続けられなかった」と感謝は尽きない。

 22年ぶりの聖地を目指し臨んだ今大会。3回戦で涙をのんだが「このメンバーで野球ができたのは、かけがえのない時間だった」と表情は晴れやかだった。

 野球は高校で一区切りのつもりだったが「また野球をやりたいという思いが出てきた」と再び熱意が込み上げた。将来の夢は教員。「子どもたちに野球の楽しさを伝えたい」。教え子に夢を託すため新たな道に挑戦していく。(熊田紗妃)

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