聖光マネジャー・赤津...日本一への『献身』 父の遺志が原動力

 
練習後、ウォーターサーバーを洗う赤津

 聖光学院の赤津翔平(3年)=福島市=は大阪入り後も、マネジャーとしてサポートに当たる。飲み物や道具の準備、選手の体調管理のほか、ノッカーとしてグラウンドに立ったり、ブルペンで球を受けるなど常に球場を走り回る赤津には、高校野球に懸けるある思いがある。

 2011(平成23)年3月11日、当時福島市の小学3年だった赤津は、東日本大震災発生の数時間前に父幸夫さんを肝臓がんで亡くした。「自分の人生に悔いはないが、翔平の高校野球を見れないのが心残り」。病室で父に最後に語りかけられた言葉が忘れられなかった。

 その後、高校野球への強い思いを抱いて聖光学院に入学した。しかし、入学後すぐに肩関節唇(しん)断裂が判明。選手生命がたたれた。それでも高校野球をあきらめることはできなかった。「マネジャーとして日本一を目指す」

 父の言葉を胸に歩んできた高校最後の夏。「チームを成長させてくれた方々のためにも、甲子園のグラウンドで生き様を見せてほしい」。甲子園のグラウンドに立つ仲間たちに思いを託し、全力でサポートを続ける。

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