聖光、決勝逃す 夏の甲子園、仙台育英に東北勢の悲願託す

 
【仙台育英-聖光学院】初進出の準決勝の試合を終え、ベンチに戻る聖光学院ナイン=甲子園
準決勝
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仙台育英
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2
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聖光学院
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 第104回全国高校野球選手権大会は第13日の20日、兵庫県の甲子園球場で準決勝2試合が行われ、本県代表の聖光学院は4―18で仙台育英(宮城)に敗れ、初の決勝進出を逃した。東北勢の悲願、深紅の大優勝旗の「白河の関越え」は仙台育英に託された。決勝は休養日を挟んで22日午後2時から行われ、仙台育英と下関国際(山口)がいずれも初優勝を懸けて対戦する。

 聖光学院は1回1死一塁でエンドランを仕掛け、安田淳平(3年)が中前打、続く三好元気(2年)の適時打で1点を先制した。

 しかし、直後の2回、先発の小林剛介(3年)が四球と4連打を浴びて逆転された。無死二、三塁で救援したエース佐山未来(同)も流れを断ち切れず、守備の乱れが重なって1イニングで11失点を許した。

 6回に好機をつくり、狩野泰輝(3年)、生田目陽(はる)(同)の適時打などで3点を返したが、序盤の大量失点が重くのしかかった。

 聖光学院は今大会で日大三(西東京)、横浜(神奈川)、敦賀気比(福井)の全国制覇の経験がある強豪3校と九州学院(熊本)を破り、県勢初の1大会4勝を挙げる快進撃を見せた。

 県勢の4強入りは1971(昭和46)年の第53回大会で準優勝した磐城以来51年ぶりで、本県高校野球史に新たな歴史を刻んだ。

 次に進みたかった

 聖光学院・斎藤智也監督 もっといい試合をして次に進みたかったので残念。思わぬ大敗だが、選手は点差に左右されず、やってきたことを表現してくれた。

 一歩を切り開けた

 聖光学院・赤堀颯(はやと)主将 夏は苦しかったが、どの試合もみんなと乗り越えることができた。次の代につながるような一歩を切り開けたことは大きい。

     ◇

 監督「最後まで堂々とプレー」

 「全国制覇」への挑戦が終わった。聖光学院は1回戦から勝ち上がり、14日の2回戦、16日の3回戦、18日の準々決勝に続いて今大会5試合目。疲労は隠せず、夏の甲子園で初めて実現した東北勢同士の準決勝は誰もが予想しない一方的な展開となった。「1回に複数失点をしていれば、逆の展開もあり得た」と振り返った仙台育英の須江航監督の言葉が、紙一重の攻防を物語っていた。

 聖光学院は1回に先制したが、続く1死満塁の場面で併殺となり、1点にとどまった。直後の2回、無死二、三塁と攻められ、打ち取った打球が前進守備の内野手の間を抜けて同点。3連続で適時打を許し、鉄壁だった守備にもミスが生じるなど、打者14人の猛攻を受けた。

 選手層の厚さにも差が出た。仙台育英は最速140キロ超の投手5人を擁し、この試合は3人が継投でつないだ。聖光学院は全試合に登板しているエース佐山未来(3年)が2回から救援したが、抜群の制球力を誇る本来の投球が影を潜めて7四死球。14日の2回戦から1週間の球数が計488球に達し、500球の球数制限に迫って降板した。

 点差が広がっても、聖光学院ナインはユニホームを泥だらけにしながら懸命に戦い抜いた。「点差に関係なく、最後まで堂々とプレーする選手に誇りを感じた」と斎藤智也監督。県勢として半世紀ぶりに4強への扉をこじ開けた熱闘は、多くの県民と全国の高校野球ファンの記憶に刻み込まれた。(鈴木健人)

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