【聖光4強・飛躍の夏(4)】ナインに委ねた変革 攻守に自主性

 
準決勝の試合を見つめる斎藤監督(左)。この夏4勝を挙げ、甲子園の通算成績は春夏合わせて28勝23敗となった=20日、甲子園

 甲子園で県勢最多の4勝を挙げた聖光学院。1999(平成11)年秋からチームを率いる斎藤智也監督(59)にとってもまた、4強という未知の世界に足を踏み入れた夏になった。

 「また大敗なのかと感じた」。仙台育英に4―18で敗れた準決勝後、指揮官は、決勝進出を前に立ちはだかった大きな壁を甲子園初出場の夏に重ねた。

 聖光学院の甲子園初出場は2001年の夏。1回戦で明豊(大分)に0―20と大敗した。打球の速さやプレーのスピード。都道府県の代表が集う甲子園で、大きな力の差を見せつけられた。「力で圧倒されたら、気持ちだけで耐えられる状況ではない」。味わった屈辱から、体の強さを鍛える練習や戦術の引き出しを増やすことに注力した。

 04年夏、2度目の甲子園で鳥取商を相手に初めての勝利を挙げる。初の8強入りは08年。機動力を生かし、着実に1点を取る勝負強いスタイルを確立し、甲子園の常連校に名を連ねた。

 しかし、準々決勝の壁に春夏5度はね返された。夏の戦後最多13大会連続出場という記録を打ち立てながら、8強の壁を超えられない。精神力に重きを置く指導やスカウトを行わない部の方針を課題と指摘する声もあった。それでも「問題は勝つことより勝つにふさわしいチームか」。選手の心を鍛え抜くチームづくりの根幹は変えなかった。

 ただ今年のチームづくりには、新たな挑戦があった。「今までの聖光の野球を変えたい」。そう話す赤堀颯(はやと)主将(3年)を中心とした選手に、チームづくりの自主性を求めた。選手間で話し合い、何が足りないのかを追求させ、日本一を目指す上で浮き彫りになった課題にナインそれぞれが多くの時間向き合った。

 3年ぶりの夏。日大三(西東京)など甲子園優勝経験のある強豪を次々破り、攻守に高い水準の野球を展開した。「これが新たな聖光野球の基準になる」。新しい歴史を刻んだナインを、指揮官は今後の聖光野球の飛躍の鍵と捉える。「二度目の正直がいつ来るのか分からないが、またチャレンジしたい」

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