【聖光、聖地へ・4年ぶりセンバツ(中)】記録途絶え原点回帰

 
春夏通じて22度目の甲子園に臨む斎藤監督(右)。夏の福島大会敗戦から原点回帰し、再び日本一を目指す

 この2年間は甲子園から遠ざかっていた。1999(平成11)年9月の監督就任から春夏通じて22度目の甲子園に臨む聖光学院の斎藤智也監督は、「一度、甲子園が途絶えたことで、また甲子園というものを考えるようになれた」とチームの歩みを振り返る。

 昨年夏の福島大会準々決勝で光南に敗れ、甲子園出場記録が途絶えた。斎藤監督も「毎年1年、1年の積み重ね。いつ負けても悔いはないという準備をしてきた」と敗戦を受け入れ、チームとともに再出発した。

 聖光学院というチームは「甲子園出場」を声高に語ることはない。それよりも「目の前の試合に全身全霊を懸けたその先に甲子園がある」という言葉をナインたちは発する。入学当初から厳しい練習が続く中で、「聖光学院に入れば甲子園に行ける」という安易な気持ちを持った部員は考えを改められていく。

 ただ、斎藤自身は「甲子園を目指して高校野球をやっている子どもたちだから、その舞台に立たせてやりたい」とその思いも理解している。2001年に初出場してから夏の甲子園を逃したのは02、03、06年の3度だけ。聖光学院のユニホームを着た部員たちは3年間のうちに、甲子園球場のグラウンドや応援スタンドで、何かしらの形で憧れの舞台を体感してきた。

 だが、20年は新型コロナウイルスの影響で夏の地方大会と全国大会が中止となり、昨年は県大会準々決勝で敗退。現2年生は甲子園を知らない世代になる可能性があった。

 自らの力で春の甲子園の切符をつかんだチームは、初出場した01年の時と雰囲気が似ているという。「連続出場しているから優勝できるとは限らない。途切れたからこそ、もう一度原点回帰して日本一を目指す」。名将は眼光を鋭くした。

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