取材続ける浜通り走る 聖火ランナーに福島民友新聞・緑川記者

 
聖火リレーに懸ける意気込みを語る緑川記者=東京

 Jヴィレッジ(楢葉町、広野町)を3月26日に出発する東京五輪の国内聖火リレーで、福島民友新聞社いわき支社報道部の緑川沙智記者(25)がランナーとして初日に浜通りを走ることが決まった。

 緑川記者は、聖火出発まで1カ月となった26日、東京・有楽町のよみうりホールで開かれた東京五輪関連イベントに参加した。日本選手団公式応援グッズ「チームレッドコレクション」のTシャツを着た緑川記者は「震災と原発事故からの復興の『光』と『影』を発信し続けたい」と地元紙記者を志した動機を語り「取材先でこれまで出会った人たちへの感謝と、笑顔あふれる古里づくりに貢献したいという思いで一生懸命走りたい」と決意を述べた。

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 東京五輪の聖火リレーで県内ランナーに決まった福島民友新聞社いわき支社報道部の緑川沙智記者は、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からの復興を願いながら浜通りで取材活動を続けている。本番1カ月前の節目に、思いを記した。

 東京五輪・パラリンピックの開催に先立ち、来月26日にJヴィレッジ(楢葉町、広野町)から聖火リレーが始まる。私も県内で聖火をつなぐ。地元紙の記者として、古里に明るい未来が訪れるよう願いと新たな決意を込めて、一歩一歩を踏みしめたい。

 震災と原発事故から来月11日で丸9年。私は当時、高校1年生だった。学校が終わり、友人と白河市のカフェでたわいもない話をしていたとき、地鳴りとともに大きな揺れが襲った。建物の窓ガラスは割れ、道路の至る所で陥没が起きていた。周囲には泣き叫ぶ声が響いた。

 自宅に帰り、テレビをつけると、津波が沿岸の街をのみ込む映像が流れてきた。その後に発生した福島第1原発の水素爆発。これから始まる最悪の事態を想像できず、現状を受け入れることができなかった。

 高校卒業後、福島市の短大に進学。そこで震災と向き合う出会いがあった。講義で、原発事故により古里から避難を強いられた農家の女性が登壇した。放射能汚染でなりわいにしていた農業と、古里から離れなければならない心境を涙ながらに打ち明けた。それでも何度も「生きることを諦めない」と語る「言葉」に、震災と向き合う力をいただいた。

 言葉を通して背中を押してもらったからこそ、私も微力ながらでも言葉で生きる力を届けたい。復興の光と影を伝える地元紙の記者を志した。これまでの取材でたくさんの人々と出会い、人とのつながりに生かされてきた。

 3月は、私にとってもう一つ、大切な一日がある。16日で、父が亡くなって3年を迎える。大学卒業を前に、末期がんで息を引き取った。病室で看病をしていたとき、父が「さっちゃんの記事を早く読みたい」と笑いかけてくれたことが忘れられない。父の存在は私の原動力だ。

 取材を通して生まれた一つ一つの出会いへの感謝と、地元記者として笑顔のあふれる古里づくりに貢献できるよう決意を胸に走りたい。そして、見守ってくれている父へ。「古里のために、これからも頑張るよ」と約束を込めて。

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