『円谷幸吉の雄姿』都内でアルバム発見!須賀川凱旋カラー写真

 
古里須賀川市に凱旋した円谷。首に銅メダルを掛け、日本代表選手団公式服の赤いジャケット、白いズボンを着用した。左右の男子学生2人は母校・須賀川高の後輩とみられる

 1964年東京五輪マラソン銅メダリスト円谷幸吉(須賀川市出身)の写真を収集したアルバムが都内で見つかった。銅メダルを首に掛けた円谷が古里に凱旋(がいせん)した様子を捉えた貴重なカラー写真をはじめ、市内の神炊館(おたきや)神社や都内のコース沿道で必勝を願う地元応援団の姿などが記録されている。

 「幸吉の大会の軌跡を追うことができる貴重なアルバム」。円谷の兄喜久造さん(88)=須賀川市=は写真を眺めて感嘆の声を上げた。喜久造さんによると、アルバムは五輪後に父幸七さんが作成。応援団のほか、支援者や関係者ら200人ほどに、お礼や記念として配布したという。

 アルバムは装丁の色が赤と緑の2種類あり、表紙の裏には旧国立競技場で銅メダルを左手に持ち、観客に右手を振る円谷の写真1枚が貼られていた。贈られた人が残りのページに好きな写真を収めることができるようになっていたという。

 見つかったアルバムは赤色の装丁で当時、須賀川市で理髪店を営んでいた井口勇吉さんに贈られた1冊。井口さんは地元応援団で中心的な役割を果たし、大会前に店舗前で円谷や家族と撮った写真も残っている。

 マラソンが行われた64年10月21日の12日前となる同9日に、市内の神炊館神社で開かれた円谷の必勝祈願の壮行会。その出席者の記念写真には、喜久造さんと母ミツさんら円谷の親族、当時の鈴木貞夫市長、井口さんを含む総勢53人が写り「走れ ツブラヤ」ののぼり旗とともに、地元の熱い期待が伝わってくる。

 日本代表選手団公式服姿の円谷が銅メダルを首から提げ、帰郷した際の一場面が垣間見える貴重なカラー写真は、円谷の母校・須賀川高の後輩や井口さんらの祝福を受け、穏やかな表情を浮かべる様子が印象的だ。

 井口さんは89年に76歳で死去し、現在は自営業の孫明俊さん(47)=都内在住=がアルバムを受け継いだ。明俊さんは「円谷は郷土の誇り。56年ぶりに東京で五輪が開かれる今こそ、全国の人にもっと功績を知ってほしい」と力を込める。

 喜久造さんは「時が流れるにつれ、記録しないと分からなくなることもある。見事な写真をそろえ、大切に保存してもらえるのはありがたい」と感謝の思いを口にした。アルバムは、円谷が在籍した自衛隊体育学校に預けられている。

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