相沢選手の力走心待ち...第二の円谷に 7月30日・五輪陸上1万

 
全中の男子3000メートルに出場した相沢(中央)と芳賀さん(右)、水野さん(左)ら。中学3年当時、県内で敵なしだった=2012年8月

 陸上男子1万メートル代表の須賀川市出身の相沢晃(旭化成)が30日、東京五輪の舞台に挑む。相沢は地元のクラブで陸上を始め、世界へ羽ばたく力を培った。同市出身の円谷幸吉がマラソンで銅メダルを手にした前回東京五輪から57年。須賀川から再びメダリストを―。相沢を知る指導者たちは教え子の力走を心待ちにする。

 相沢が陸上を始めたのは小学3年の時。地元の同市長沼地区に拠点を置く陸上クラブ「長沼ランナーズ」で競技の基礎を学んだ。代表の安藤直一さん(66)は「入った当初は飛び抜けた存在ではなかった」と語る。

 一方で「内に秘めた思いが強い子だった」と安藤さん。相沢は小学3~4年ごろ、メンバーから漏れた駅伝大会の表彰式で、メダルをもらえずに一人涙したという。「みんなと同じメダルをもらえないことが悔しかったのだろう。力をつけようと真面目に取り組んでいた」と振り返る。

 相沢は長沼中に進学後、須賀川から「第二の円谷幸吉」を輩出しようと設立されたスポーツ少年団「円谷ランナーズ」の1期生となった。同スポ少代表で、中学時代の相沢を指導した水野武さん(57)は「走ることがとにかく好きな選手だった」と話す。

 当初は体の線も細く、周囲から後れを取ることも多かったが、毎朝の走り込みや練習で力をつけた。「今日は1万メートルを走りたい」と言い出し、水野さんが「あまりやり過ぎるなよ」と止めたこともあった。

 中学3年には3000メートルで全日本中学陸上に出場するなど、県内トップ選手に成長。高校、大学と力をつけ、社会人1年目で五輪代表の座を手にした。

 相沢が出場する男子1万メートルは、円谷がマラソンの前に6位入賞を果たした種目。五輪代表入りを決めた昨年12月4日は、円谷ランナーズ在籍当時の代表で相沢を指導した芳賀敏郎さんの命日でもあった。「多くの運命を感じる出場。私たちの永遠の夢だった『第二の円谷幸吉』の輩出が現実になろうとしている」と水野さん。相沢が目指す自己ベスト更新と五輪入賞を、地元から後押しする。

 相沢「勇気や感動与える走りを」

 相沢晃は29日にオンラインで記者会見に臨み、レースに懸ける決意を語った。

 ―今大会の目標を。
 「前回東京五輪で円谷幸吉が1万メートルで6位入賞している。自分も入賞が目標だ」

 ―コンディションと今の心境は。
 「やれることは全てやった。自分を信じてベストの走りをしたい。1万メートルは陸上で最初の決勝種目なので、良い流れをつくって後続の選手につなぎたい。世界トップ選手と走れる貴重な機会なので、いい緊張感を持ちながら準備したい」

 ―目標達成に向けて鍵を握るのは。
 「出場選手の半数以上は自分より持ちタイムが良いが、日本特有の湿度には慣れている。自国開催のプライドを持って最後まで粘れば入賞が見えてくると思う」

 ―被災地への思いを。
 「東日本大震災で被災し『復興五輪』への思いは特別だ。その後に起きた災害や新型コロナウイルスで苦しんでいる人たちがたくさんいる。応援してくれる人たちに勇気や感動を与えられるような走りをしたい」

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