バド混合複の渡辺・東野「最高の絆」 福島発、花開いた物語

 
混合ダブルスで銅メダルを獲得し笑顔で撮影に応じる渡辺勇大(右)、東野有紗組=武蔵野の森総合スポーツプラザ

 「自分たちにはバドミントンしかない。頑張る姿で恩返ししたい」。東京五輪バドミントン混合ダブルスで日本勢初のメダルを獲得した渡辺勇大、東野有紗組(日本ユニシス、富岡高卒)の胸にあったのは感謝の思いだった。福島県で出会い、ペアを結成してから10年。東日本大震災も乗り越えてきた2人が、日本バドミントン界に新たな歴史を刻んだ。

 震災翌年の2012(平成24)年に開かれたインドネシアの国際大会で、決まったペアがいない東野と腰のけがで本調子ではなかった渡辺が偶然ペアを組んだ。東野は「ほとんどしゃべらなくても動きが合った」と振り返る。この大会で3位。2人の物語の始まりだった。

 同じ富岡高を経て先に実業団入りした東野が誘い、渡辺も日本ユニシスへ。転機が訪れたのは2018年、日本代表チームの混合ダブルスコーチに就任したジェレミー・ガンとの出会いだった。「2人はそれぞれ個人の技で戦っている」。ガン氏から話し合うことの大切さを説かれ、練習から積極的にプレーについて話すようになった。あうんの呼吸と相手への信頼感。2人の強さの源である揺るがぬ連係を磨き上げた。この年、伝統の全英オープンで日本勢初優勝。トップペアの一角へと駆け上がった。

 北海道出身の東野と東京都出身の渡辺は、「福島を第二の故郷」と呼ぶ。互いに地元を離れ有望な選手が集う富岡一中に入学。東日本大震災と福島第1原発事故直後には、練習すらままならない大変な状況を経験し、拠点も富岡町から猪苗代町に移った。中高を二つの町で過ごし、多くの支援で競技を続けられた。「練習ができる体育館があって、あの時の感謝の気持ちは忘れられない。だから結果を残して恩返ししたい」。東野は常にそう口にしてきた。

 銅メダルは、目標としていた色と違ったが、渡辺は「福島での生活がなかったら先輩とも組めていない」と話し、こう付け加えた「福島で培われたものがこうやって成果(メダル)として結び付いてくれて誇りに思います」。福島から生まれたペアが東京で花開いた。(坂本龍之)

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