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作曲家・佐々木俊一「高原の駅よさようなら」
(浪江町)
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ヒットメーカーの功績刻む
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没後50年を記念して建立された浪江駅前の譜碑。浪江町には、疎開先の景勝地高瀬川沿いにも譜碑が立つ
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JR常磐線浪江駅前。太平洋から吹く海風に乗り、もの悲しくも懐かしいメロディーが流れる。浪江町出身の佐々木俊一が作曲した「高原の駅よさようなら」だ。駅前の一角に立つ高さ2メートルの、楽譜と歌詞を刻んだ石碑が佐々木の功績を今に伝える。
しばし別れの 夜汽車の窓よ 云わず語らずに 心とこころ…
この曲は、1951(昭和26)年に小畑実が歌い大ヒットとなった。
佐々木は07(明治40)年に同町に生まれた。17歳の時、音楽への情熱から家出同然で上京。東洋音楽学校(現東京音楽大学)に学び、32年に「涙の渡り鳥」で作曲家デビューした。「きらめく星座」「桑港のチャイナタウン」など数々のヒットを作曲、古賀政男と並ぶヒットメーカーとして活躍した。しかし、深酒がたたり49歳の若さで死去。豪放磊落(らいらく)ながらも繊細な佐々木らしい生き方を物語っている。
東京大空襲直後の45年、佐々木は一家8人で旧浦和市(現さいたま市)から、故郷浪江町の高瀬川渓谷沿いにある小丸に疎開。約7年間、山里で作曲にいそしみ、仕事のたびに東京への往復を繰り返した。
佐々木のおい佐々木英夫さん(67)=同町南深町=は「叔父は子ども6人を山里に残して上京する寂しさが、夜汽車に伝わるレールの響きと相まって、恋人を残し旅立つ曲に置き換えたのでは」と打ち明ける。
夕暮れ空の下、列車が走る。レールの響きに佐々木のメロディーが聞こえる。
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佐々木俊一譜碑 昨年、佐々木の没後50年を記念してJR浪江駅前に建立された。同駅から西へ約10キロの景勝地、阿武隈中部県立自然公園の高瀬川渓谷沿いにも設置されている。渓谷内には遊歩道が整備されている。
▽問い合わせ=浪江町役場(代表電話0240・34・2111) |
【 4 】
2008年4月24日 福島民友新聞社・木曜ナビ
ほっと面掲載
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(
文・木口拓哉 写真・矢内靖史 )
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