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ふくしまの舞台
沼尻軽便鉄道
(猪苗代町)
「高原列車は行く」のモデル

緑の村に保存されているディーゼル機関車と客車。今も多くのファンが訪れる

 小野町出身の丘灯至夫作詞、福島市出身の古関裕而作曲で知られる歌謡曲「高原列車は行く」。本県が輩出した音楽家2人が“融合”したこの曲のモデルとなったのが、大正から昭和40年代にかけ猪苗代町で運行された沼尻軽便鉄道だった。
 ♪汽車の窓からハンケチ振れば 牧場の乙女が花束なげる−
 丘さんは幼少期、体がひ弱だった。4日登校すると、2日病欠するような状況。そのため湯治として軽便鉄道に乗り、中ノ沢や沼尻、横向の温泉に出掛けていたという。その記憶を思い返しながら作詞したこの作品は1954(昭和29)年、歌手の岡本敦郎が歌い大ヒットした。
 丘さんが好んで訪れたのは、横向温泉「滝川屋旅館」。同旅館によると、ヒット後の昭和30年代にも家族で度々訪れ、近年も機会があれば立ち寄る。当時、丘さんが滞在した建物も現存している。
 その一方で、こんなエピソードもある。丘さんは古関の作った曲を聞き、そのあまりに軽快なメロディーに「腰を抜かすほどびっくりした」という。古関は軽便鉄道ではなく、アルプスを走る電車を想像していた、と丘さんは振り返っている。
 ♪高原列車は ラララララ 行くよ
 沼尻軽便鉄道は68年、55年の歴史に幕を閉じたが、同町の観光スポット「緑の村」には「マッチ箱」の愛称で親しまれたディーゼル機関車と客車が残る。その勇姿を描いたメロディーもまた、人々の心に永遠に残っていく。
  >>> MAP
 沼尻軽便鉄道 1913年に本線延長15.6キロで運行を開始。11駅・停留所を持ち、身近な交通手段として活躍した。川桁駅前には現在、軽便鉄道の歴史を記した記念碑が立つ。
 ▽問い合わせ=猪苗代町商工観光課(電話0242・62・2117)
【 7 】 2008年5月11日 福島民友新聞社・木曜ナビ ほっと面掲載
( 文・飯沢賢一 写真・吉田義広 )  
 

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