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ふくしまの舞台
飯盛山
(会津若松市)
悲劇の白虎隊 自刃の地

飯盛山

鶴ケ城を望む自刃の地には隊士の石像がたたずむ。観光客らはその視線の先を見つめ、当時の光景に思いをはせていた

 約200段の長い石段を息を切らして上ると、自刃した白虎隊19士の墓が出迎える。墓前には、今も参拝者らが手向ける線香の煙が絶えることはない。さらに奥に進むと、鶴ケ城を南西に臨む「白虎隊自刃の地」。今の世に語り継がれる若き武士(もののふ)たちの悲劇と忠義の舞台だ。
 1868(慶応4)年8月22日、新政府軍の会津藩攻撃に伴い、白虎隊にも出陣の命が下された。初陣に勇んで出向く隊士たち。しかし、戦況は厳しく、翌日の戦いでは奮闘むなしく決定的打撃を受けてしまう。負傷者をいたわりながら、やっとの思いで飯盛山へと逃れた隊士たちの目に飛び込んできたのは、真っ赤な炎と黒煙に包まれた鶴ケ城だった。
 「城が燃えている」−。城を包む砲煙を落城と誤認した少年たちは「今こそ、君公に殉ずべき」と、会津武士道の教えに従い、次々に自らの命を絶っていった−と伝えられる。
 今年は戊辰戦争から140年。県内各地で戦いの史料を紹介する展示会が企画されるなど、白虎隊が守り抜いた会津武士道や飯盛山での悲劇などがあらためて注目を浴び、「ならぬものはならぬ」の「什(じゅう)の掟(おきて)」を重んじる白虎隊士の精神に学ぼうと、悲劇の舞台となった飯盛山には、全国各地から多くの修学旅行生が訪れている。
 自刃の地には、眼下の鶴ケ城を望む隊士の石像がたたずんでいる。訪れた人は、その視線の先を見つめ、若き白虎隊士の悲壮な決意に思いをはせている。
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 飯盛山 山は古くから旧正宗寺の境内で、霊地として多くの参拝者が訪れていた。1884(明治17)年、自決した19士の墓が建てられ、後に自刃の地も整備された。
 ▽問い合わせ=会津若松市観光課(電話0242・39・1251)
【 25 】 2008年9月18日 福島民友新聞社・木曜ナビ ほっと面掲載
( 文・星 聖子 写真・矢内靖史 )  
 

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