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別れの一本杉
(会津坂下町)
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春日八郎の望郷のシンボル
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「別れの一本杉」の楽譜のほかステージ衣装、ブロマイドなど春日ゆかりの品が多数並ぶ「おもいで館」
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「泣けた 泣けた こらえ切れずに 泣けたっけ」で始まる「別れの一本杉」は、会津坂下町が生んだ演歌歌手春日八郎の代表曲の一つ。
町内の春日八郎記念公園に、歌の舞台となった「別れの一本杉」がそびえ立つ。隣には歌碑があり、近づくとメロディーが流れ出す。春日の資料館「おもいで館」にも、全国から多くのファンが足を運んでいる。午後5時の時報を知らせる町の防災無線のチャイムも「別れの一本杉」。ふるさとの空に毎夕、名曲が響き渡る。
幼少のころから歌が上手だったという春日は、歌手を目指し上京。1944(昭和19)年、東洋音楽学校(現東京音楽大)を卒業後、新宿ムーラン・ルージュに入団、歌手活動を本格的に開始した。
細川潤一、江口夜詩に師事し、歌の研さんに励み、49年、キングレコードに入社。3年後の52年にデビュー曲「赤いランプの終列車」が大ヒット。以後40数年、終生変わらぬ声量、声質で数々のヒット曲を飛ばし続け、日本歌謡界に金字塔を築いた。曲は1600曲を超え、いまなお全国のファンに愛され続けている。
「別れの一本杉」は高野公男作詞、船村徹作曲で55年のリリース。春日からふるさとの一本杉の話を聞いた高野は、故郷の茨城県笠間市を思い出して作詞し、名曲が生まれたという。高度経済成長期、集団就職などで都会に出てきた若者たちの心をとらえた。
10月22日は郷土の誇り、春日の命日だ。
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春日八郎(1924─91) 本名渡部実。会津坂下町塔寺出身。名誉町民。
春日八郎記念公園・おもいで館 95年オープン。思い出の写真、楽譜、ステージ衣装、愛用のピアノ、レコードなどを展示。
▽問い合わせ=同館(電話0242・82・4254) |
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2008年10月23日 福島民友新聞社・木曜ナビ
ほっと面掲載
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(
文・永井秀典 写真・矢内靖史)
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