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鞍石山
(二本松市)
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智恵子と光太郎が愛した地
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造り酒屋だった智恵子の生家はそのまま残され、観光名所となっている
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二本松市油井。詩人高村光太郎の作品「智恵子抄」のモデルで、詩人の妻智恵子の生家北側に位置する高台が鞍石山だ。光太郎の詩「樹下の二人」の舞台とされる。
あれが阿多多羅山、
あの光るのが阿武隈川。
ここはあなたの生れたふるさと、
あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫。
(後略)
病気がちの智恵子は1年の半分は古里で過ごしていた。光太郎は1923(大正12)年、「続ロダンの言葉」の印税を旅費に智恵子の実家を訪ね、二本松周辺をともに歩いたという。
智恵子と、智恵子の生家長沼家の菩提(ぼだい)寺、満福寺に詣でる途中、裏山のがけに腰を下ろし、実家の酒蔵や安達太良山、光る阿武隈川が見える眺望を楽しんだとされる。
鞍石山には鞍掛石と呼ばれる花こう岩の巨石があったが、東京復興で電車の敷石用にすべて切り出されたという。伊達政宗を支えた名将片倉小十郎が陣を張った際、馬の鞍を巨石に掛け、馬を休めたことから鞍掛石の名が付いたとされる。
智恵子の生家を見下ろす鞍石山には「樹下の二人」の詩碑がある。智恵子が愛した「ほんとの空」の下、肩を並べて話し合う2人の姿がしのばれる。智恵子没後70周年を迎えた現在、鞍石山周辺は「智恵子の杜公園」として整備され、長沼家は造り酒屋の面影を残す。隣接地の智恵子記念館では、芸術家として53年の生涯を駆け抜けた智恵子の作品に出合うことができる。
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高村智恵子(1886―1938) 油井村(現二本松市)生まれ。日本女子大卒。洋画家を志し1914年から光太郎のアトリエで創作活動に励んだ。晩年は紙絵を制作、遺作は千数百点に上る。
▽問い合わせ=智恵子記念館(電話0243・22・6151) |
【 34 】
2008年11月20日 福島民友新聞社・木曜ナビ
ほっと面掲載
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(
文・安田茂 写真・永山能久 )
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