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寛延三義民処刑の地
(桑折町)
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一揆で義貫き
刑場の露に
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福源寺に安置されている斎藤彦内の墓所。感銘を受けた有志らが説明板などを設置した
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産ケ沢(うぶがさわ)川のせせらぎ、河岸で風に吹かれて揺れるアシが、なぜか物悲しさを想起させる。かつてこの川沿いの刑場で、大凶作に苦しみ一揆を起こして戦った農民のため、自ら盾となった斎藤彦内ら3人が斬首(ざんしゅ)され、刑場の露と消えた。
1749(寛延2)年、「天狗廻状騒動」として知られる農民一揆が信達地方で起きた。次々と捕らえられる農民の身代わりに代官所に出頭した彦内はじめ猪狩源七、蓬田半左衛門の三義民の偉業は、明治時代に「天狗廻状」という名で新聞小説になった。映画化もされ、日本全国の人々の血を沸かせたという。
伊達市下志和田の福源寺を訪ねると、本堂の真後ろに彦内の墓所がある。後の世の人々が、偉業をたたえる説明板を作ったことからも、彦内の生きざまが死後、どれほど人々に感銘を与えたのかをうかがい知ることができる。
毎年4月17日に同寺で営まれる供養祭も今年で260回忌を迎える。岡本大英住職は「42歳という若さで妻子がある身を顧みず、人々のために身を捨てた覚悟を尊敬する人は多い」と彦内の功績をしのぶ。
刑場跡は同寺から北に3キロほど。顕彰碑もある。辺りの道路は舗装され、周辺には工場も立ち並ぶなど、当時の面影を示すものはほとんどない。ただ、彦内らが農民のものとして守ろうとした田畑は今も眼前に広がっている。彦内の心情を量りながら河岸を歩むと、無念な思いだけではない、義を貫いた充実感がこみ上げてきた。
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天狗廻状騒動 大凶作で年貢の減免を求めるため、伝達の早さから後に「天狗廻状」と呼ばれる回状を回し対策を協議。だが代官所への嘆願は聞き入れられず、斎藤彦内らを中心に農民1万6800人余が一揆を起こした。
▽問い合わせ=福源寺(電話024・583・2312) |
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2009年1月22日 福島民友新聞社・木曜ナビ
ほっと面掲載
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( 文・大内義貴 写真・一ノ瀬澄雄 )
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