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弾正ケ原
(喜多方市)
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喜多方事件を前に集結
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三島県令の圧政に対し自由民権運動家らが自分たちの権利を回復しようと「権利恢復(かいふく)訴訟同盟」を結んだ久山寺=喜多方市熱塩加納町
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本県の自由民権運動の原点といわれる喜多方事件(会津三方道路開削反対闘争、福島事件)は、会津盆地の北方、現在の喜多方市塩川町の弾正ケ原で幕を開けた。
1882(明治15)年、当時の県令三島通庸が出した「会津三方道路開削」命令が発端だった。背景には自由民権運動の広がり、政府と自由民権派との対立構図があった。
三島県令の命令に「民意無視、過重な負担の強制」と反発する県内の自由民権派は、政府側から厳しい弾圧を受け、民権派の指導者的立場にあった宇田成一らが次々と逮捕された。
指導者を失った民権派は82年11月28日、弾正ケ原に集結した。そして、宇田らの釈放を求め旧喜多方署に押し寄せた。逮捕理由を署員に尋ねるが、抜刀し威嚇する署員らに相手にされなかったという。しびれを切らした民権派は同署内に突入し署員らと乱闘、数人の負傷者を出す事件に発展した。
この喜多方事件を機に三島県令は、県内全域で自由民権活動家の逮捕を命じていく。
県議会議長で後の衆議院議長河野広中(福島民友新聞創刊者)も同事件に関連したとして後日、逮捕された。
元喜多方市史専門委員の赤城弘さんは「人間が生きる上での正当な権利を得るため立ち向かっていったのは素晴らしい」と語る。
同事件から今年で127年目。自由民権派の熱い魂を記憶にとどめ、弾正ケ原には今日も寒風が吹き抜けている。
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弾正ケ原 かつては駒形ケ原と呼ばれ、現在は喜多方市指定史跡。喜多方事件の際、自由民権派の指導者が、演説のために登ったといわれるケヤキの木が現存している。
▽問い合わせ=市役所塩川総合支所教育課町史編さん係(電話0241・27・8854) |
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2009年2月12日 福島民友新聞社・木曜ナビ
ほっと面掲載
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(
文・橋本昌紘 写真・永山能久 )
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