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安達ケ原の黒塚
(二本松市)
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問い掛ける母娘の秘話
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阿武隈川沿いに立つ黒塚。1986年と98年の8月に、水害でいずれも2メートルを超す浸水に遭ったという
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春空を川面に映し、ゆったりと流れる阿武隈川のほとり。野鳥のさえずりと対岸で進む平成の大改修の重機の音が響く河川敷の一角に鬼婆(おにばば)が眠るとされる黒塚がある。歌舞伎や謡曲でも知られ、傍らには平兼盛が詠んだ「みちのくの安達ケ原の黒塚に鬼こもれりと聞くはまことか」の歌碑が建つ。
堤防を上った約100メートル南側の観世寺には、鬼婆が住んでいたといわれる岩屋が残り、伝説を今に伝える。
同寺によると、京都の公卿屋敷の乳母だった岩手は、姫の病気を治したい一心から「妊婦の生き肝を飲ませれば治る」との易者の言葉を信じ、みちのくにたどり着いた。晩秋の夕暮れどき、一夜の宿を求め若夫婦が岩屋を訪れ、産気付いて苦しむ恋衣という妻から岩手は念願の生き肝を取った。しかし、恋衣は昔別れた実の娘だったことを知り、岩手は気が狂って鬼と化した。
以来、旅人を殺しては生き血を吸う鬼婆といわれるようになり、数年後に訪れた紀州熊野の僧東光坊が如意輪観音の笈(おい)をおろして祈願、尊像は一大光明を放ち、岩手を白真弓で射殺したという。岩手は里人の手で葬られ、黒塚の石碑が建立されたとされる。
同寺周辺は河川改修と土地改良が進み、開放的な光景が広がる。隣接する安達ケ原ふるさと村には、季節を問わず家族連れが訪れ、広い公園内に歓声が響く。身近に残る母娘の悲話は、時間を超えて家族の在り方を問い掛け、温かな家庭を見守っているようにも思える。
(おわり)
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観世寺(かんぜじ) 奈良時代前期の726(神亀3)年、阿闍梨祐慶東光坊が開基。松尾芭蕉、正岡子規が参詣し句碑がある。宝物館には鬼婆が使ったとされる出刃包丁や鍋などが陳列されている。
▽問い合わせ=観世寺(電話0243・22・0797) |
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2009年3月26日 福島民友新聞社・木曜ナビ
ほっと面掲載
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文・安田茂 写真・吉田義広 )
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