入山再開まで険しい道のり
震災、台風で被害、完全復旧は数年先
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入山禁止
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【震災後】東日本大震災で崖崩れなどが起きたため背戸峨廊は現在、立ち入りができなくなっている。入り口には「入山禁止」のロープが張られている
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いわき市を横断し太平洋へと注ぐ夏井川支流の江田川下流にある「背戸峨廊」。その美しい自然景観は多くの人を魅了し、同市の観光名所として知られている。背戸峨廊の名は、同市小川町出身の詩人草野心平が命名。「背戸」は方言で隠れた場所、「峨廊」は険しい回り道を意味するという。1周約8キロのコースは、心平が名付けた「トッカケ滝」や「龍の寝床」などのスポットと、新緑や紅葉など四季折々の自然が出迎えてくれた。
しかし東日本大震災により、崖崩れが発生。さらに、その後の台風などでも被害が出るなどして現在は入山が禁止されている。市は今後、復旧作業を進める方針だが、完全復旧には数年はかかるとみられる。
JR磐越東線と磐越街道(県道41号)に沿って流れる夏井川渓谷は、秋の深まりにつれて紅葉が進み、徐々に観光客も戻りつつある。
※問い合わせは、いわき市観光物産課((電)0246・22・7477)へ。 |
観光客のにぎわい取り戻し、地域を元気に |
小野 昭三(おの・あきぞう)さん/景観の保存に努める 江田地区自治会長
何より残念なのは、東日本大震災の影響で背戸峨廊への入山ができなくなってしまったことです。背戸峨廊は、私の父(故忠仁さん)が草野心平さんとともに探勝して命名に立ち会ったということもあり、個人的にも強い思い入れがあります。豊かな自然をたたえる景観は、地区住民にとって誇りです。
震災では数カ所で崖崩れが起き、その後も大雨で遊歩道の橋が流されるなどの被害がありました。修復にはまだ入れない状況です。震災前は毎年この時期、紅葉狩りを楽しむ観光客でにぎわっていたので寂しい限りです。地元活性化の観点からも、できるだけ早い修復を行い、安全を確保した上で入山再開がなされることを期待しています。
一方、夏井川渓谷は震災後、一時期は観光客が少なくなりましたが、徐々に持ち直しているようです。商工会など地元団体も誘客のためのイベントを積極的に展開しています。今後も魅力を発信する取り組みを継続していきたいと思います。
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変化に富む景観美
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【震災前】滝やふちが変化に富んだ自然景観をつくり出し、多くの観光客が散策を楽しんでいた
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福島民友新聞社は、ふくしま復興支援プロジェクトの一環として、2012(平成24)年10月から13年5月まで、「ふる里の誇り ふたたび 福島遺産 百選 未来への歩み」を連載しました。
「福島遺産 百選」は、県内それぞれの地域で「ふる里の誇り」として守り継がれてきた有形無形の宝を後世に残していこうと、福島民友新聞社が07年に県内外に呼びかけ、選定しました。
しかし、計120件のうち31件の遺産が東日本大震災で被災しました。本プロジェクトは、あらためて地域の素晴らしい宝を再認識することで県民一人一人の誇りを取り戻し、「心の復興」につなげていくことを目的としたものです。 |
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ふくしまが誇る美しい自然、歴史、文化 |
地域の宝を復興の力に |
震災に耐えて |
東日本大震災に耐え、被害を免れた福島遺産もあります。これらは地域で県民に勇気と希望を与え続けています。
比曽の水芭蕉群生地(飯舘村)
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ミズバショウはサトイモ科の大型多年草。淡緑色の葉に大きな仏炎苞(ぶつえんほう)を持つ。比曽地区では、約1000平方メートルの湿地に500〜600株が咲き誇る。ほかのミズバショウと比べ、苞が大きいのが特徴。(飯舘村生活支援対策課(電)0244・42・1623)
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木幡の幡祭り(二本松市)
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1055(天喜3)年の前九年の役の故事が起源とされる。源氏の白旗に見立てた五反旗を木幡山などに奉納する祭礼。幡行列では白装束にえぼし姿の男衆が五反旗をはためかせ、木製のほら貝を吹き鳴らしながら山頂を目指す。(二本松市役所東和支所地域振興課(電)0243・66・2490)
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雄国沼湿原(北塩原村)
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6月から7月にかけて広がるニッコウキスゲの大群落が有名。1957(昭和32)年に国の天然記念物に指定された。一年を通してミズバショウやレンゲツツジなど、280種類以上の植物が花や実をつけ、県内外から多くの観光客が訪れる。(北塩原村商工観光課(電)0241・32・2511)
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民友携帯サイト
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