津波被害で場所を移し奉納
神事と民俗芸能が一体となった祭礼
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稚児田楽と心
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全国的にも珍しいとされる稚児による田楽。地元の小学生8人が田楽童子を務め、社殿前の常設舞台などで田楽を披露、見物客や被災地域の人々の心を支えた
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国指定重要無形民俗文化財「御宝殿熊野神社稚児田楽風流」は8月1日、五穀豊穣(ほうじょう)を願い、いわき市の同神社の例大祭で奉納される。地域の子どもが田楽童子に扮(ふん)して、田楽演奏などが古式ゆかしく行われる。稚児による田楽は全国的にも珍しく、神事と民俗芸能が一体となった貴重な祭礼と位置づけられている。
田楽は、田植えから収穫までが舞踏化されている。踊り手は地域の子ども8人。このうち2人は露払いでほこ竹を持ち、残りの6人が「ざらっこ」と呼ばれる古曲楽器を鳴らし、4人ずつ向かい合って田楽を披露する。
田楽のほかの「勅使の潔斎」「鉾立の神事」など祭礼を構成する各儀式も興味深い。
昨年は東日本大震災で、一連の祭礼を行う場所が被災し、開催が危ぶまれたが、場所を変更して対応した。今年はほぼ例年通りに開催した。
(熊野神社(電)0246・62・2207) |
被災地域の気持ち支えた伝統の田楽 |
下山田 大膳(しもやまだ・だいぜん)さん/熊野神社宮司
東日本大震災で勿来地区も大きな被害を受けました。はじめは例大祭の中止も検討しましたが、代々続いてきた伝統行事を途絶えさせてはいけないと、氏子の方々と協力しながら、復興への願いも込めて開催しました。そのため昨年は、例年とはいくつかの点で異なりました。
稚児田楽は、被害を受けた場所での演奏は取りやめています。
身を清めるための儀式「勅使の潔斎」は、震災前まで、宵祭(7月31日)に錦須賀海岸で行っていましたが、この地区は津波被害を受けたため、場所を本神社近くの鮫川河原に移して、本祭(8月1日)に行いました。勅使の子どもも、毎年、違う子が担っていましたが、震災直後の混乱などがあり、この年に限って前年と同じ子どもに務めてもらいました。
伝統は継続していくことが何より大事だと思います。昨年、開催したことは、人々の気持ちの面で、力になったのではないでしょうか。
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震災吹き飛ばす
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その年の豊作と豊漁を占う「鉾立の神事」。震災に負けてはいられない、と活気にあふれていた
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福島民友新聞社は、ふくしま復興支援プロジェクトの一環として、2012(平成24)年10月から13年5月まで、「ふる里の誇り ふたたび 福島遺産 百選 未来への歩み」を連載しました。
「福島遺産 百選」は、県内それぞれの地域で「ふる里の誇り」として守り継がれてきた有形無形の宝を後世に残していこうと、福島民友新聞社が07年に県内外に呼びかけ、選定しました。
しかし、計120件のうち31件の遺産が東日本大震災で被災しました。本プロジェクトは、あらためて地域の素晴らしい宝を再認識することで県民一人一人の誇りを取り戻し、「心の復興」につなげていくことを目的としたものです。 |
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ふくしまが誇る美しい自然、歴史、文化 |
地域の宝を復興の力に |
震災に耐えて |
東日本大震災に耐え、被害を免れた福島遺産もあります。これらは地域で県民に勇気と希望を与え続けています。
岩角山(本宮市)
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851(仁寿元)年に天台宗第四祖慈覚大師が天台宗総本山比叡山延暦寺の直末寺として開いた霊場。全山が花こう岩の巨石、奇石で形成された幽谷の地で、巨石には西国霊場33カ所の観世音像や菩薩、天王、天神など808体の姿が刻まれている。(岩角山岩角寺(電)0243・44・3354)
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大山祇神社(西会津町)
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由緒によると、第49代光仁天皇時代の778(宝亀9)年から1200年以上続く神社と伝えられる。本県だけでなく新潟県からも多くの信仰を集め、一生に1度の願いは3年続けてお参りすればかなえられる「野沢の山の神様」としても親しまれている。((電)0241・45・2323)
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慧日寺跡(磐梯町)
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慧日寺は約1200年前の平安初期、南都法相宗の僧、徳一によって磐梯山麓に開かれた。戦乱や火災で当時の建築物の多くは失われた。残された資料から、2005(平成17)年、金堂の復元作業が開始。08年に完成し、一般公開されている。(磐梯山慧日寺資料館(電)0242・73・3000)
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