堰堤が決壊、爪痕
今も
地域再生のシンボルに
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湖底に雑草
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【震災後】堰堤が決壊して湖底がむき出しとなり雑草が生い茂る。周辺の木々を水面に映した美しい藤沼湖の姿はない。藤沼湖の再生が地域の復興と希望を担っている
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須賀川市の西部に位置する藤沼湖自然公園は、東日本大震災前、豊かな自然の中にオートキャンプ場や温泉、宿泊施設、パークゴルフ場などが整う同市長沼地区を代表する観光施設だった。ピーク時は年間約10万人が訪れる人気のレジャースポットとして、にぎわっていた。
震災時、公園の象徴だった農業用ダム「藤沼湖」は地震の激しい揺れで堰堤(えんてい)が決壊。濁流が江花川沿いの集落を襲い、死者7人、行方不明者1人、22戸の流失家屋を出すなど、市内最大の被害となった。
被災した周辺施設のうち、比較的被害の少なかったパークゴルフ場は、一昨年の12月に再開し徐々に震災前の利用者数に回復しつつあるが、施設のほとんどは現在も使用できない状態。市は、地域再生のシンボルとして県が進める藤沼湖の復旧作業の状況を見ながら、周辺施設の復旧を手掛ける。
(藤沼湖自然公園管理センター(電)0248・67・3355) |
にぎわい再び、希望持ち続け復旧 |
小林 弘一(こばやし・こういち)さん/藤沼湖自然公園管理センター所長
藤沼湖自然公園は、旧長沼町の時代から約20年かけ湖を観光資源とした周辺施設を整備してきました。そば打ちやマラソン大会などのイベントも催しており、地域住民たちの憩いの場として多くの人に親しまれてきました。
春は桜、夏はアウトドア、秋は色彩豊かな紅葉、冬は泉質の良さと景観が売りの温泉―と年間を通じて多くの人でにぎわいを見せていました。震災の年の4月には、子どもと高齢者が交流を深めることができる「ふれあい体験館」をオープンする予定でしたが、いまだに開館のめどは立っていません。
現在も、ほとんどの施設が利用できず、毎年開催していたイベントも中止を余儀なくされています。利用者たちの笑顔や、にぎやかな声がなくなってしまったことは残念です。今後、藤沼湖の再生とともに、各施設が復旧することで、地域の皆さんに元気を与え、再びこの地に多くの人々が訪れてくれることを願い、また希望として、復旧に取り組んでいきます。
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自然映した水面
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【震災前】豊かな水をたたえる藤沼湖。長沼地区の観光の中核として、家族連れなどたくさんの人でにぎわった
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福島民友新聞社は、ふくしま復興支援プロジェクトの一環として、2012(平成24)年10月から13年5月まで、「ふる里の誇り ふたたび 福島遺産 百選 未来への歩み」を連載しました。
「福島遺産 百選」は、県内それぞれの地域で「ふる里の誇り」として守り継がれてきた有形無形の宝を後世に残していこうと、福島民友新聞社が07年に県内外に呼びかけ、選定しました。
しかし、計120件のうち31件の遺産が東日本大震災で被災しました。本プロジェクトは、あらためて地域の素晴らしい宝を再認識することで県民一人一人の誇りを取り戻し、「心の復興」につなげていくことを目的としたものです。 |
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ふくしまが誇る美しい自然、歴史、文化 |
地域の宝を復興の力に |
震災に耐えて |
東日本大震災に耐え、被害を免れた福島遺産もあります。これらは地域で県民に勇気と希望を与え続けています。
三春張子人形と三春駒(郡山市ほか)
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三春張子は江戸時代に三春藩高柴村に始まったとされ、和紙の特性を生かした自在な表現が特徴。三春駒は坂上田村麻呂の東征伝説が起源とされ、直線と面からなる体系のバランスと彩色は「日本三大駒」の一つとして評価されている。(郡山市観光物産課(電)024・924・2621)
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開成館(郡山市)
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1874(明治7)年、役所の役割の区会所として旧桑野村に建てられた。擬洋風3層楼の堂々としたたたずまいの建物で、安積開拓時代の雰囲気を今に伝える。1997(平成9)年には安積開拓120周年記念事業として大規模な改装が行われ、現在の姿となった。((電)024・923・2157)
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三春滝桜(三春町)
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樹齢1000年以上と推定される紅シダレ桜。1922(大正11)年に国天然記念物に。開花期の4月中旬から下旬にかけて、薄紅色のかれんな花が一斉に咲き競う姿が、まるで滝が流れるかのように見える。(三春町産業課観光グループ(電)0247・62・3960、三春町観光協会(電)0247・62・3690)
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民友携帯サイト
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