修復終え、増す威光
日本最大級の一本彫り
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若い世代が関心
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【震災後】昨年、100年ぶりに修復作業が行われた立木千手観音。原発事故で参拝客は減少しているが、子授け祈願や文化財巡りなど若い世代の関心が比較的高い
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国重要文化財で「会津ころり三観音」「会津三十三観音」の一つに数えられる金塔山恵隆寺の本尊。約1400年前の「高寺伝承」にまつわる歴史ある同寺の本尊として、また、子年生まれの人の一代守護本尊として全国各地から信仰を集める。
同寺の言い伝えでは、平安時代の808(大同3)年、弘法大師が巨木を根付いた状態で切り出し直接彫刻したとされる。高さ8.5メートルの一本彫りで、根が付いている観音像としては日本最大級。同観音が納められているかやぶき屋根、寄せ棟造りの立木観音堂も国重文。堂内には、抱き付いて心願すれば満願成就するといわれる「だきつき柱」、県重要文化財の眷属(けんぞく)二十八部衆、風神・雷神像などもある。
震災では激しい揺れにより、千手観音像が手に持つ什物(じゅもつ)や二十八部衆の笛、翼が落下、破損するなどの被害があった。
(恵隆寺(電)0242・83・3171) |
会津の文化財が復興の力に |
藤田 恵盛(ふじた・けいせい)さん/金塔山恵隆寺副住職
立木千手観音像は、震災前から、傷みの激しい箇所もあり、文化庁の補助を受けて、約100年ぶりとなる修復作業を行うことが決まっていました。震災が発生し、什物の落下、破損などの被害が出たことで、修復の必要性がさらに強くなり、昨年2〜3月にかけ、約1カ月にわたって観音像の御身拭い、金箔(きんぱく)や漆の剥落止めなど修復作業を行いました。
子年生まれの一代守護本尊として知られる千手観音様ですが、子授け祈願で訪れる参拝者も増えていました。しかし、原発事故の影響で参拝客は約4割減少。美しい状態で参拝できるようになった現在でも回復には至っていません。
一方で、会津の神社、仏閣は歴史があり、素晴らしい文化財が多いことが広く知られるようになり、信仰だけでなく「文化財巡り」として若い参拝者が増える傾向も見られます。こうした動きに後押しされ、会津の文化財が復興の中核を担い、多くの方に参拝いただきたいと考えています。
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一代守護本尊
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【震災前】子年生まれの人の一代守護本尊として、全国から参拝者が訪れ、熱心な祈りをささげていた
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福島民友新聞社は、ふくしま復興支援プロジェクトの一環として、2012(平成24)年10月から13年5月まで、「ふる里の誇り ふたたび 福島遺産 百選 未来への歩み」を連載しました。
「福島遺産 百選」は、県内それぞれの地域で「ふる里の誇り」として守り継がれてきた有形無形の宝を後世に残していこうと、福島民友新聞社が07年に県内外に呼びかけ、選定しました。
しかし、計120件のうち31件の遺産が東日本大震災で被災しました。本プロジェクトは、あらためて地域の素晴らしい宝を再認識することで県民一人一人の誇りを取り戻し、「心の復興」につなげていくことを目的としたものです。 |
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ふくしまが誇る美しい自然、歴史、文化 |
地域の宝を復興の力に |
震災に耐えて |
東日本大震災に耐え、被害を免れた福島遺産もあります。これらは地域で県民に勇気と希望を与え続けています。
じゃんがら念仏踊り(いわき市)
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8月のお盆の時期に仏を供養する、いわき市の夏の風物詩。地区の青年会などが旧盆に新盆宅を回り、小気味よい太鼓と鉦(かね)のリズムに合わせて念仏を唱えながら踊る。同市平の市街地では青年じゃんがら念仏踊り大会が毎年開かれ、大勢の見物客が詰めかける。(いわき市総合観光案内所(電)0246・23・0122)
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飯野八幡宮(いわき市)
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1063(康平6)年、源頼義が前九年の役の必勝祈願のため京都石清水八幡宮を勧請(かんじょう)したのが由来とされる。朱色の大鳥居が目印で、近世初期の社殿の本殿には荘厳な雰囲気が漂う。毎年正月には家内安全、無病息災、商売繁盛などを願い、大勢の参拝客が初詣に訪れる。((電)0246・21・2444)
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浅川の花火(浅川町)
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町の青年たちを中心に代々受け継がれる花火大会で、浅川町のシンボル。浅川城落城時の戦死者弔いや1798(寛政10)年の農民一揆「浅川騒動」の犠牲者供養など、由来には諸説ある。クライマックスで打ち上がる「大地雷火」は火山の噴火を思わせる迫力。(浅川町農政商工課(電)0247・36・1183)
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