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こころに残す ふくしまの風景
大内宿
(下郷町)
江戸期の宿場町 全国から観光客
大内宿
江戸の宿場町の風情を今に残す大内宿。9軒ある民宿では、江戸時代にタイムスリップしたような時間を過ごすことができる
 江戸時代、会津藩の城下町・若松と南山御蔵入領の陣屋の町・田島を結んだ大動脈「下野街道」。明治以降、現在の国道121号に主役を譲り、通行不能となっていた歴史の道が県道下郷会津本郷線として復活した。焼きものの里、会津美里町から最新の設備を誇る道路を走り抜け、源平合戦ゆかりの氷玉(ひだま)峠を越すと、宿場町の風情を今に残す大内宿が見えてくる。
 この宿場町の歴史は源平の時代にまでさかのぼる。平清盛の全盛期、反平家の兵を挙げた高倉以仁王(もちひとおう)=後白河天皇第二皇子=が戦いに敗れ、この集落に落ち延びたという言い伝えが残っている。
 江戸時代には、会津西街道(下野街道)の宿場町として栄えた。参勤交代の大名行列や旅人、米などの生活物資がこの街道を通り、大内宿で旅の疲れを癒やした。
 1868(慶応4)年の戊辰戦争で戦場となり、1884(明治17)年に湯野上温泉を通る国道121号が開通すると、宿場町としての使命を終え、伝説の中に埋没していった。
 大内宿は1981(昭和56)年4月に、国重要伝統的建造物群保存地区に選定された。以来、時の流れに忘れられたように山間にひっそりとたたずんでいた小さな集落は、全国から大勢の観光客が押し寄せる一大観光スポットとなった。昨年の年間観光客は約70万人。週末には駐車場の空きを待つ車が長い列をつくる。
 佐藤幸男大内区長は「毎年1棟程度のペースで、トタン屋根の民家を茅葺(かやぶ)きに直している。観光という面だけではなく、伝統を守り、後世に伝えていくことがわれわれに課せられた使命」と話す。
 7月2日には、高倉宮を祭った高倉神社の祭礼「半夏(はんげ)祭り」が繰り広げられる。神社のご神体をみこしに移して宿場内を練り歩く古式豊かな「みこし渡御」は、白装束に黒烏帽子(えぼし)姿の担ぎ手や、刀や弓矢などを持つ行列などがいにしえの時代の風を今に伝える。静かで華麗な祭りとともに、南会津にも暑い夏が訪れる。 
 >>> 行ってみよう
 会津鉄道の湯野上温泉駅下車、タクシーで約10分。徒歩の場合約1時間。車の場合、国道121号湯野上分岐点から県道湯野上会津高田線で約6キロ。会津美里町からは県道下郷会津本郷線で約17キロ。どちらからも大内宿にそのままアクセスする。
<13> 2003.06.27
 

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