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こころに残す ふくしまの風景
御薬園
(会津若松市)
会津藩主の庭園  木々が保つ静寂
<b><font size="6" color="#FFFFFF">御薬園</font></b>
安らぎの場として親しまれている御薬園
 会津若松市の市街地を南北に貫く千石通りから、路地に入って約100メートルの距離に、緑に囲まれた御薬園がある。別名は「会津松平氏庭園」。江戸時代の会津藩主・松平氏の庭園として知られるが、その誕生は約600年前。当時の領主・葦名家が造ったといわれる。
 至徳年間(1384−87)、葦名氏7代直盛が会津の地に初めて東黒川館(後の鶴ケ城)を築き、会津統治に力を注いだころ、館北側の大田谷地という野原にわく霊泉が疫病から農民を救ったとして鶴ケ清水と名付けられた。10代盛久はこの地を霊地として別荘を建てたという。
 その後、会津松平氏初代藩主・保科正之が再建、以後、歴代藩主が保養所として使った。松平氏3代正容の享保年間(1716−1736)には朝鮮人参の栽培を始め、民間にも広く奨励したことから「御薬園」の名が広まった。
 庭園は周囲540メートル、面積は1.7ヘクタール。中央に「心字の池」があり、中島の楽寿亭と池のほとりの御茶屋御殿は元禄年間(1688−1704)に建てられた。1932(昭和7)年に「磐梯山の遠望、東山の連峰を借景とした大名庭型山水庭として優れている」として国の名勝指定を受けた。
 東奥に伝承の鶴ケ清水があり、その傍らには1936年に訪れた与謝野晶子が詠んだ歌碑がある。杉、松などの大樹、老木がそびえ、銘石を巧みに配置。多くの木々が周囲のけん騒を遮ってくれるのか、都市部とは思えないような静寂を保つ。 
 9月は、松平家から秩父宮家に嫁いだ勢津子妃にゆかりの深い月。誕生日は1909(明治42)年の9月9日。戊辰戦争からちょうど60年後の28年9月28日に秩父宮さまと結婚した。 輿(こし)入れのニュースは、敗戦以来、朝敵、賊軍のそしりを受けてきた会津人を喜ばせ、成婚当日は提灯(ちょうちん)行列まで行われた。
 今も昔も、御薬園は会津人の安らぎの場である。 
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 会津若松市の中心部・花春町にあり、磐越道・会津若松インターチェンジから車で約10分。会津若松駅からも周遊バス「ハイカラさん」が運行されており、約10分。東山温泉まで車で約5分、芦ノ牧温泉から約20分。観覧料は大人310円、高校生260円、小・中学生150円。開園時間は、午前8時30分から午後5時まで。
<23> 2003.09.05
 

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