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こころに残す ふくしまの風景
春日八郎記念公園・おもいで館
(会津坂下町)
昭和の大歌手をはぐくんだ古里
春日八郎記念公園・おもいで館
水田やソバ畑が広がる場所にある春日八郎記念公園・おもいで館。おもいで館前には一本杉と歌碑が立ち、多くの観光客が訪れる
 「私の故郷・会津坂下町は、会津盆地から見ると、ずっと高い土地である。そこから、もっともっと高い山に入って、小鳥とりをやるのだ。家を出るころはまだ暗くても、鳥を見きわめるころになると、明るくなる。会津盆地を取り囲む山のかなたが赤く染まる。と思う間もなく、空がアッといううちに白んでくる。朝だ。会津の夜明け。」(自伝「ふたりの坂道」から)
 春日八郎(本名・渡部実)は1924(大正13)年10月9日、会津坂下町に生まれた。「赤いランプの終列車」「お富さん」など数々のヒットを飛ばした、昭和を代表する歌手。
 ヒット曲「別れの一本杉」で歌われる一本杉と地蔵さんが立つ故郷・会津坂下町の”村はずれ”に、春日八郎記念公園・おもいで館がある。
 「別れの一本杉」を作詞した高野公男は、この会津坂下町の一本杉を書いたわけではない。高野の故郷、茨城県笠間市にある一本杉をイメージしたが、歌い手の春日は、子ども時代によく友人と待ち合わせたふるさとの一本杉と、杉の横に立つ北向きの子授け地蔵を心に思い浮かべて歌ったという。91(平成3)年10月22日に67歳で亡くなる前年にも、春日はテレビ収録で会津坂下町の一本杉を訪れ、「別れの一本杉」を熱唱した。
 この思い出の地に「別れの一本杉」の歌碑が建立されたのは春日が亡くなった翌年のこと。さらに95年6月には春日の功績を紹介する「おもいで館」がオープンした。館内にはステージ衣装や愛用のピアノをはじめ、レコード、写真パネルを展示。カラオケコーナーもあり、来館者が春日の曲を懐かしそうに歌う。
 来館者は1日平均約150人。おもいで館職員の伊藤喜代美さんは「県内よりも県外からの来館者が多いです。春日さんと同世代の年配の方は、若い時に戻ったような気がすると喜んでいます」と話す。 
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 JR会津坂下駅から車で7分。「別れの一本杉」の歌碑からは、春日の歌が流れる。おもいで館は入館無料。年中無休だが、冬季は休館。開館時間は午前10時から午後5時まで。湯飲みやキーホルダー、TシャツなどのグッズやCD、カセットも販売。電話は0242・82・4254。
<27> 2003.10.03
 

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