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八槻都々古別神社
(棚倉町)
鎌倉時代以降の「御田植」伝わる
八槻都々古別神社
雪化粧した八槻都々古別神社拝殿。地域全体で継承する伝統行事「御田植」が国の重要無形民俗文化財指定の答申を受けた
 アユ釣りで知られる久慈川に沿って茨城県へと続く国道118号は、古代から幹線道路として人々の生活を支えてきた。その国道沿いの木立のなかに八槻都々古別神社がある。
 同神社の歴史は古い。伝承によると祭祀遺跡のある建鉾山(表郷村)を奥院として地元の信仰を集め、10世紀に編さんされた延喜式には名神大社として古代白河郡第一等に位置づけられている。その後、棚倉町内の馬場都々古別神社と分社した、とされる。
 のちに日本武尊を祀るようになり、明治時代に至るまで近津大明神または近津神社と呼ばれていた。中世に広まった熊野信仰の影響を受けており、宮司は南北朝時代に熊野参詣案内役の先達の流れを受け継ぐ八槻氏が務める。
 同神社には狂言風の田遊び「御田植」が伝えられている。楽人が発する言葉や動作から、鎌倉時代以降から伝承されているとみられる。御田植は明治時代に一時中断したとみられるが、1971(昭和46)年、県の重要無形民俗文化財に指定された。地区民が指定と同時に御田植保存会を結成して今に伝えている。また2004年1月16日には国の文化審議会が国の重要無形民俗文化財に指定するよう答申したばかり。
 御田植祭は毎年旧暦の1月6日に拝殿で行う。今年は27日に開かれ、答申直後の開催とあって、例年を上回る見物客、取材陣が詰め掛けた。見物客は、もちで作った農具や楽器を使って農作業をユーモラスな掛け声と動作で再現する伝統の祭りを見学した。
 御田植祭保存会長を務める岡田吉弘さんは「八槻地区は昔から農業を主な産業としており、豊作を神社に祈願してきた。地区内200戸余りの全住民が保存会の会員で一丸となって伝統を受け継いできた」と神社が地域の精神的支柱になっていることを強調する。
 国の重要無形民俗文化財指定については「突然のことで驚いている。保存会をはじめ先人たちから受け継いできたことが評価された。これからも努力を重ねて後世に伝えていきたい」と話している。
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 JR磐城棚倉駅から茨城県方面へ車で約10分。八槻都々古別神社では御田植祭のほか、毎年12月第2土、日曜日に霜月大祭も行う。周辺にはスポーツリゾート施設「ルネサンス棚倉」や棚倉田舎倶楽部などスポーツ宿泊施設、山本不動尊などの観光名所がある。
<41> 2004.01.30
 

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