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こころに残す ふくしまの風景
小峰城跡
(白河市)
奥州関門の名城 奮戦した新選組
小峰城跡
1991年、資料に基づき、忠実に復元された小峰城の三重櫓
 JR白河駅のホームに立つと、北側に優美な三重櫓(やぐら)が迫る。
 奥州関門の名城といわれる小峰城は、初代白河藩主丹羽長重が結城氏の南北朝時代からあった城郭を大改修し、七家21代続いた白河藩主の居城となった。戊辰の役で焼失したが、現存する石垣と復元された三重櫓が、城下町の歴史を現代に語りかけてくる。
 南北朝時代、小峰城から南東約3キロにあった白川城を本城とした結城宗広の子親朝が、1340年に小峰ケ岡に城を築いたのが小峰城の始まり。現在に面影を残す城郭ができたのは1632(寛永9)年。
 徳川幕府は、奥州の防衛拠点だった白河を固めるために、外様大名の丹羽長重に十万石を与えて棚倉から移封させ、小峰城の大改築を命じた。
 丹羽氏は築城技術に優れた家系で知られる。東北の城の多くが土塁、空堀なのに対し、石垣、水堀を採用しているのが特徴。4年の歳月をかけて阿武隈川を利用し、内堀と石垣で攻防兼ね備えた梯郭式平山城として整備した。
 また、長重は城下町の整備も行い、約240年の白河藩の基礎を作った。しかし、丹羽家は2代16年白河を治めた後、二本松に移封。その後の城主は、松平定信をはじめとする親藩・譜代大名だけだった。
 長重が心血注いだ小峰城は、戊辰の役で落城した。同戦役でも激戦となった白河口の戦いは、1868年4月20日から、約100日にわたり、小峰城の攻防、奪還戦を繰り広げた。
 当時丹羽家が治めた二本松兵を含む奥羽越列藩同盟、新選組が集結、新政府軍と戦うが、混成軍の統制、旧式の戦法・火力で及ばず、多数の戦死者を出す惨敗に終わった。
 1991(平成3)年、白河市は三重櫓を現存する資料に忠実に復元した。材料には、白河口の戦いの地・稲荷山のスギを利用。材木の多くが被弾しており、櫓の床板や柱には当時の弾痕がそのまま残る。
 長重が残した石垣と戊辰の役の傷。小峰城には、白河藩240年の歴史が積まれ、刻まれている。
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 JR白河駅から徒歩1分。城内には、石垣を積む際、人柱となった娘の伝説を残す「おとめ桜」がある。バラ園は6月に開園。古城の石垣とバラのコントラストが美しい。春、秋の休日には観光ボランティアも実施。問い合わせは、白河観光協会(電話0248・22・1147)へ。
<45> 2004.02.27
 

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