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旧伊達郡役所
(桑折町)
和洋組み合わせ壮麗さ誇る庁舎
旧伊達郡役所
1977年6月、国の重要文化財に指定された旧伊達郡役所。96年には皇太子ご夫妻も訪れた
 1883(明治16)年に着工された擬洋風建築様式の建物。翌年、延べ床面積約600平方メートルの総2階建て、バルコニーと塔屋を持つ白亜の壮麗な庁舎が出来上がった。和洋を組み合わせた三島通庸県令最盛期の遺構となっている。
 完成以降、桑折は明治、大正年間、伊達郡政の中心となった。郡役所が廃止された後も県の出先機関として役割を果たしてきたが、74年3月に廃止された。
 郡役所は当初、保原(伊達市保原町)に置かれていた。郡役所は78年に各郡に設置されたが、伊達郡の場合は現在の構成町とほぼ同じ。地理的に見ると、郡の中心に当たる保原に置いたことは妥当だったといえる。
 一方、阿武隈川を挟んだ郡西側の桑折、伊達、国見の住民は、保原役所発足当初から反対していた。住民は(1)一等道路(国道)が整備されている(2)元代官所在地ーなどを理由に、反対運動を展開し、伊達郡分割と郡役所移転の願書を県に提出した。しかし、県は認めなかった。
 ではなぜ、郡役所が桑折に移転したか。背景として「薩長藩閥政治の弊害」が大きい。明治時代初期の郡長は、県の中でも地位の高いポスト。伊達郡は県庁所在地に近いこともあって郡長は通勤形態をとっていたことから、国道が整備された桑折の方が便利だった。桑折からの強い働きかけはもちろん、郡長の個人的都合、三島県令の政治力により、県は一転して同じ理由を付して内務卿に移転を申請、否定していた内務省も主張を受け入れ、桑折への移転が決まった。
 以後、郡役所近くで明治元年から酒造店を営み、町文化財保護審議会長を務める半沢金兵衛さんは「郡役所は昔の人々が尽力して築き上げた町のシンボル。宝物でもあり、次代につなげていきたい」と語る。
 77年6月には国重要文化財に指定された。振動が大きい、として撤去されていた塔屋が改修工事で完全復元され、当時の姿を今に伝えている。96年には皇太子ご夫妻が郡役所を訪問され、室内楽コンサートを楽しまれたことでも知られている。
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 東北道国見インターチェンジから国道4号を南下し、車で約15分。JR東北線では桑折駅下車、徒歩で約20分。郡役所敷地内には種徳美術館があり、貴族院議員として活躍した角田林兵衛氏が寄贈した東東洋や亜欧堂田善などの作品約200点が収められている。
<46> 2004.03.05
 

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