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こころに残す ふくしまの風景
智惠子の生家
(二本松市)
旧安達町が買収し復元、当時の面影残す
智惠子が愛してやまなかった「ふるさと安達」。その純朴さを残す街並みの中に智惠子をはぐくんだ「生家」がある
 詩人・彫刻家として著名な高村光太郎との純愛に生きた妻・智恵子。当時としては数少なかった女流画家として一時代を駆け抜け、晩年に熱中した美しい紙絵の世界は、光太郎とともに追い求めた人間の真実や美、そして愛を反映して奇跡のような輝きを放つ。
 旧国道に面した一見宿場を思わせる2階建ての家。表には格子戸が巡らされ、新酒の出来上がりを伝えた大きな杉玉が下がる。
 屋号は「米屋」、酒銘「花霞」。53歳という短い生涯を閉じた智恵子の生家は、智恵子が愛してやまなかったふるさとの地に、当時の面影そのままに、ひっそりとたたずんでいる。
 智恵子は1886(明治19)年5月20日、安達郡油井村(現二本松市油井)で造り酒屋を営む長沼今朝吉、せんの長女として出生。福島高等女学校、日本女子大と進み、洋画家の道を選んで東京に残った。女性による最初の雑誌「青鞜」創刊号の表紙絵を描くなど才能を開花させ、そして運命の人・光太郎と出会った。
 長沼家の破産、自殺未遂と波乱が続いた知恵子の生涯。入院先のゼームス坂病院で紙絵制作が始まり、精神の痛みの中で生み出された作品の数々は、見る人の心をとらえる。
 旧安達町(現二本松市)は、ふるさと創生事業で智恵子の生家を買収、復元し、93年にオープン。裏庭には酒蔵をイメージした智恵子記念館も整備された。
 また、光太郎と智惠子が手を取り合って歩いた鞍石山は智惠子の杜公園として整備された。「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川。」という「智恵子抄」の「樹下の二人」を生んだ場所でもあり、多くのファンが訪れて2人の愛の探さにふれている。
 10月5日は智恵子の命日。長沼家の菩提寺・満福寺では毎年、「レモン忌」の法要が営まれる。
 光太郎が智恵子の亡くなる情景を歌った「レモン哀歌」にちなんだもので、全国から集ったファンは智惠子の生家や智惠子記念館なども見学し、思いを語り合う。  
 >>> 行ってみよう
 JR安達駅から二本松インターチェンジ(IC)から車で10分。休刊日は水曜日(祝日の場合は翌日)と年末・年始(12月28日から1月3日)。開館時間は午前9時から午後4時30分。大人400円、小中学生200円。 電話0243・22・6151。  
<7> 2003.05.16
 

福島民友新聞社
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