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中村孝純さん |
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◆善悪理解し戒めに |
安達ケ原の鬼婆ゆかりの品々や奇岩などが数多く残る観世寺。鬼婆退治で僧が力を借りた観音菩薩を祭る安達ケ原白真弓如意輪観音堂は、安達33観音霊場第14番札所。大人400円、小中学生200円で見学できる。観音菩薩は60年に1度開帳され、直近では1982(昭和57)年に開帳された。
第24世住職の中村孝純さん(64)は「鬼婆伝説は、悪行を行えば必ず罰が与えられるという戒め。鬼婆伝説を知ることで善悪を理解し、心を戒めてほしい」と話す。 |
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鬼婆を埋葬したとされた黒塚。古典芸能で語り継がれる伝説の地が阿武隈河畔にひっそりたたずむ |
■東北道二本松ICから東に車で約10分。JR二本松駅から東に車で約10分 |
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国道4号から県道原町二本松線に入り、安達ケ橋を渡ると、左手の阿武隈川河畔に一本杉が見える。安達ケ原の鬼婆(ばば)を埋葬したとされる黒塚だ。36歌仙の平兼盛が「みちのくの 安達ケ原の 黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか」と詠み、謡曲や浄瑠璃、歌舞伎により語り継がれている伝説の地がひっそりとたたずんでいる。
鬼婆伝説は、京の乳母が世話する口の不自由な姫の病を治すため、胎児の生き肝を求めて安達ケ原にたどり着き、訪ねてきた妊婦の腹を切り裂き、胎児から生き肝を取り出した。しかし、この母子が自分の娘と孫だったため、乳母は鬼婆となり、以来、夜な夜な旅人を襲うようになった。鬼婆はその後、熊野那智の僧により倒され、村人により手厚く葬られたという。
黒塚は今、周りを白壁で囲まれ、30年ほど前に建てられた鬼婆の供養塔をはじめ、平兼盛の歌碑などが建てられている。黒塚から約100メートル東には、鬼婆を倒した僧が開山したという観世寺がある。
境内には、鬼婆がすみかとした岩屋や、鬼婆を倒す際に祈りをささげた観音菩薩を祭った観音堂などがある。また宝物館には、鬼婆が使ったとされる出刃包丁や鍋など、黒塚からの発掘品も展示されている。同寺の裏山には、鬼婆の娘を供養する地蔵尊もある。
現在は、観音堂の祭礼が毎年4月の第3日曜日に行われるなど、地域住民が今なお伝説の地を守り続けている。 |
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