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長崎の鐘
生誕100年記念
長崎の鐘
永井隆と次女茅乃、手前は長男誠一(長崎市永井隆記念館提供)
斎藤 秀隆 (福島東稜高教員)

(23)2009.07.13

忌まわしい戦争からの解放
 1949(昭和24)年7月、歌謡曲「長崎の鐘」がコロムビアから発売されました。作詩はサトウ・ハチローで、当時ベストセラーとなった永井隆著『長崎の鐘』や『この子を残して』などに感動してできた詩でした。作曲は古関が担当し、藤山一郎が「こよなく晴れた青空を/悲しと思うせつなさよ」と歌い上げました。医師の永井は被爆しながらも献身的に被爆者治療を続けた伝説の人物です。
 「歌は最初、池真理子さんが歌うことになっていましたが、『召されて妻は天国へ』の部分は、女性より男性が歌う方がよいと藤山一郎さんに決まりました」(永井誠一(まこと)談)。格調高く、ヒューマニズムにあふれたこの歌は大ヒットし、「数多い長崎の歌の中で、詩・曲・歌が渾然(こんぜん)一体となって宗教的なムードに包まれた」(『長崎の歌謡史』、長崎新聞社)と高く評価されました。古関はようやくあの忌まわしい戦争の呪縛(じゅばく)から解放されました。
 「長崎の鐘」に感動した永井隆から古関に、手作りのロザリオや感謝のことばを認(したた)めた手紙などが贈られました。
 《唯今、藤山さんの歌う、長崎の鐘の放送を聞きました。私たち浦上原子野の住人の心にぴったりした曲であり、ほんとうになぐさめ、はげまし明るい希望を与えていただきました。1949年4月25日》
 一方、被爆とともに行方不明だった、浦上天主堂の「長崎の鐘」(「アンゼラスの鐘」)は、「45年のクリスマスイブに瓦礫(がれき)の中から掘り出されました」(永井誠一著『永井隆』)。

■天使の音楽 
 永井隆の崇高な人生を歌った「長崎の鐘」は50年9月、松竹によって映画化されました。音楽は古関が担当し、宗教音楽を数カ所で用いた映画は、大ヒット。永井は古関の音楽を絶賛しました。「すばらしい音楽で、涙をさそいました。録音機の傍らには目にこそ見えね、あの天使歌隊が勢ぞろいして歌っていたのではありますまいか?」
 古関音楽は、神に帰依する永井を感動させ、心を和ませ、生きる勇気を与えました。古関はまさに「天使の音楽」を作ったのです。
    メ  モ  
  歌曲「新しき朝の」 
  「長崎の鐘」発表後、古関と永井隆との親交は深まり、永井は古関に短歌を贈りました。「新しき朝の光のさしそむる/あれ野にひびけ長崎の鐘」。古関は直ちに美しい曲をつけ、永井に届けました。その曲が「新しき朝の」です。

 


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