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  【 福島の万葉歌碑TOP 】
「会津嶺」(会津若松・磐梯)
会津嶺の国をさ遠み逢はなはば偲ひにせもと紐結ばさね
 
 磐梯山の里での愛詠む

 県内に会津嶺の万葉歌碑は2基ある。

 その一つは昭和51年9月18日、会津若松市総合グラウンド・サブトラック北隣の緑地帯(若松城跡三の丸跡、県立博物館入り口)に建立された、

 会津嶺(あひづね)の国をさ遠み逢はなはば偲(しの)ひにせもと紐結ばさね

 (巻14・三四二六)の歌碑である。

 建立者は、会津若松葵ライオンズクラブ、全国友好ライオンズクラブ、会津万葉苑建設委員会(斎藤正雄会長)である。同委員会が「万葉集に、会津を詠よんだ歌がただ一首あるが、これを知る市民が少ないため会津の地に万葉の庭を造り、後世に永く伝えよう」と建立したものである。

 碑石は群馬県赤城山産の小松石で、台石とも高さ3.5メートル、幅1.5メートルほどのの大きなものである。揮毫きごうは会津生まれの秩父宮雍仁やすひと親王妃勢津子殿下であり、みごとな行書体で三行書きされている。碑陰には、当時の会津若松市長高瀬喜左衛門書の原歌などが楷書体で刻まれている。

 近くに立つ歌碑の案内板には、建立の趣意と扇畑忠雄(万葉学者)による解説が記されている。

 この歌は、「会津嶺のある国を遠く離れて、あなたに逢あえなくなってしまったならば、その時あなたを偲しのぶよすがにいたしましょうから、私の下紐(ひも)の緒を結んでください」という、遠く旅立つ男が女に対して歌ったものであり、磐梯山のふもとに住む青年の相聞的心情を歌った民謡と解されている。紐を結ぶという民俗は、相手の霊魂を自分自身に結びつけ、その霊力で身の安全を保護されるという一種の鎮魂の信仰に基づいている。

 この会津嶺の歌に対して、本稿1回目に紹介した、

 筑紫なるにほふ児ゆゑにみちのくの可刀利をとめの結(ゆ)ひし紐解く
(巻14・三四二七)

の歌をならべると、会津嶺と可刀利との場所的隔たりはあるものの、心情的にはまさに一対の問答歌の型式をなしているといえる。

 その2つは昭和59年9月30日、磐梯町・磐梯町中央公民館庭に建立された歌碑である。

 建立者は磐梯町である。歌碑は同町が行った農業構造改善事業に伴う基盤整備中に、恵日寺周辺の田んぼから発見された高さ約3.1メートル、幅約1.1メートルの自然石に黒御影石を嵌はめ込んだものである。揮毫は高埜一二(筆名耕南)であり、草書体で四行に書かれている。

 同公民館の落成にあたり、先祖が同町法正尻出身であるという渡部勝頼(新星商事代表取締役、東京都在住、プロスケーター渡部絵美の祖父)から、社会教育関係の備品および教材費として百万円が寄付され、教育委員会でその用途を検討したところ、「磐梯山(会津嶺)の里にふさわしい歌碑の建立」と決まって建てられた。(敬称略)

 (福島短歌研究会会長)

今野 金哉

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会津若松市の歌碑


磐梯町の歌碑


会津嶺

【2008年3月19日付】
 

 

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