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文学の舞台 中通り編
県庁脇の板倉神社境内に立つ若山牧水の歌碑。阿武隈川を見渡すようにたたずむ
ふくしま発 水のあした
第1部  暮らし支えて【5】
2010年1月8日付
文学の舞台 中通り編

阿武隈の流れ題材に 歌人や作家取り上げる
 阿武隈川を臨む県庁脇の紅葉山公園内にある板倉神社。福島市の中心部にありながら樹木に囲まれ、喧騒(けんそう)から離れた境内に歌碑が立つ。「つばくらめちちと飛び交ひ阿武隈の岸の桃の花いま盛りなり」。宮崎県生まれの歌人若山牧水が1916(大正5)年に福島市を訪れ詠んだ歌だ。同市出身の作曲家古関裕而が曲を付け、有志の手により造られた牧水の歌碑は、川の流れを見つめるようにたたずんでいる。
 阿武隈川を題材とした文学の歴史は、古くは平安時代にさかのぼる。阿武隈は「逢隈」「遇隈」などとも表記され、古今和歌集には「逢隈に霧立ちわたり明けぬとも君をばやらじ待てば末なし」という歌が収められている。藤原道長、藤原定家らが阿武隈川を詠んだ和歌を残したことから、歌枕として広く親しまれるようになる。「あふ」を「会ふ」にかけ男女の逢瀬が多く詠まれたようだ。
 詩人高村光太郎が「智恵子抄」の「樹下の二人」で記したフレーズ「あの光るのが阿武隈川」には、智恵子の望郷の念がこもる。高知県出身の歌人大町桂月は1918年に阿武隈川の源流を訪ね、紀行文「阿武隈川水源の仙境」で風光明媚(めいび)とたたえた。
 文学史に残る作家、歌人が阿武隈川を取り上げた作品を発表していることについて、郡山市のこおりやま文学の森資料館長の村上光市さん(61)は「著名人が作品に使うということは、阿武隈川が有名である証し」と語る。
 本県にゆかりのある作家が阿武隈川を題材とした文学作品は意外に少ない。郡山市育ちの久米正雄、同市生まれの諏訪三郎らの作品があるが、日本近・現代文学が専門の福島大人間発達文化学類教授の沢正宏さん(63)によると「近代以降、阿武隈川をテーマとした作品はあまりみられない」。阿武隈川は東北では北上川に次いで2番目の長さを誇るが、沢教授は「素材として使われることがあっても、主題として取り上げられることがないのが残念。『母なる川』というよりは、生活の場というイメージが強いのかもしれない」と分析する。
 沢教授は言う。「阿武隈川は、源流から河口まで多くの表情を見せる。風土に密着した川として、もっとクローズアップされて良いし、されるべきだ」
 


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