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山 塩 会津編
山塩の製造工場には温泉水を煮詰める釜が並ぶ。まきで煮詰める古来からの方法だ
ふくしま発 水のあした
第1部 暮らし支えて【16】
2010年2月7日付
山 塩 会津編

温泉水を煮詰め製造 森林保護で間伐材燃料
 北塩原村の大塩地区。山あいの集落にある工場に毎朝、地元でわき出る大塩裏磐梯温泉の源泉が運び込まれる。工場には、温泉水を煮詰める釜が並ぶ。同温泉は塩分濃度が高く、工場では温泉水から塩が作られる。
 ここで製造される塩は「山塩」と名付けられている。大塩地区は、観光の名所の裏磐梯と会津盆地の農村地帯の中間に位置する。「地区で誇ることができる特産品を」と2005(平成17)年から山塩製造の研究が始まり07年に製法が確立、会津山塩企業組合が設立され、本格的な山塩製造を始めた。工場では500リットルの温泉水を四つの釜で6〜8時間煮詰め、仕上げの工程を経てピーク時には1日15〜20キロの山塩を製造する。
 「山塩を通して、温泉の泉質の良さを知ってもらえれば」と同組合理事長の五十嵐秀二さん(53)。山塩は、海の塩と比べると塩自体の塩分濃度が低いため、まろやかで甘みがあるのが特徴という。ようかんやあめなどの原材料としても使われている。村内の土産物店で販売されており、製造が追いつかないほどの人気を博している。
 大塩地区では、古くから温泉水を利用した山塩が作られていた。その歴史は室町時代にさかのぼるといわれ、江戸時代・寛文年間ごろからは、会津藩に納められていた。当時の会津藩は、越後から海の塩を買い入れ、阿賀川の舟運で運び込んでいた。運搬の費用や人手が負担となっていたため、大塩地区の山塩が注目されるようになったという。その後、物流が良くなるにつれて再び海の塩が主流となり、大塩地区の山塩製造は、1949(昭和24)年に「自然消滅した」といわれる。
 山塩製造が途絶えた要因はほかにもある。温泉水を煮詰める際に使うまきを確保するために森林の伐採が進み、地元の文献には「山が枯れた」との記録が残る。同組合の栗城光宏さん(38)は「自然のサイクルの中でどれだけ製造できるか。環境と共生しなければいけない」と山塩復活にかける思いを話す。
 現在は木材加工業を営む組合員らの協力で余った木くずや間伐材を利用し、まきを作るための伐採はしていない。工場ではばい煙調査も行っている。五十嵐さんは「山塩は自然の恩恵。貴重な資源を大切にしていきたい」と誓う。
 


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