水のあしたTOP
報徳仕法で築造された藤金沢ため池を見つめる舘野さん。現在でも地域住民の暮らしを支えている
ふくしま発 水のあした
第2部 共生の知恵【8】
2010年4月16日付
「報徳仕法」

先人のため池を守る 受け継いだ地域の財産
 相双地方には、数多くのため池が点在する。江戸時代末期、相馬中村藩が、北は相馬市から南は大熊町までの領内(飯舘村と葛尾村を含む)に築造、改修したものだ。その数は、1845(弘化2)年から1871(明治4)年までの間に700に上ったとの記録が残る。
 当時の相馬中村藩は、天明・天保の飢饉(ききん)で疲弊した農村の状況を打開するため、二宮尊徳の教えによる農村復興政策「報徳仕法」により、農業用水を安定供給するためのため池を造り、農地を広げていった。
 南相馬市鹿島区北海老に住む専業農家の舘野幸夫さん(63)は、自宅から数`離れた場所にあり、1867(慶応3)年に造られた藤金沢ため池から水を引きコメを生産している。
 ため池の水源は真野川。上流の栃窪地区にある七千石堤で取水された水が、用水路でいくつものため池に分水されながら下流の藤金沢ため池にたどり着く。複数のため池が用水路でつながっている構造で、貴重な水をできるだけ多くの水田に引くための工夫が施されている。舘野さんは「農閑期の11月から2月までがため池に水をためる時期。田植えを含め、ためた水で十分に間に合う」と話す。
 鹿島区にあるため池は名前があるため池だけでも90を超え、名もないため池を含めると200にも及ぶ。いずれのため池にも「堤守(つつみもり)」と呼ばれる管理人が地元の農家から選ばれ、朝晩の見回りなどを毎日欠かさない。水を利用するほかの農家も定期的に用水路の土砂上げなどの手入れ作業に従事、舘野さんは「水の人足で文句を言う人はいない。農地を他人に貸している人も必ず参加する」と笑顔を見せる。
 先人が築いた財産を、地域の人たちが共同で守り続けている。舘野さんは「時代が変わっても、水は生きることの原点にある。子どもや孫にも守ってほしい」と、豊かな水を得るために力を尽くした先人の努力に感謝する。
 南相馬市博物館学芸員の水久保克英さん(47)は、市内の小学校の出前授業で報徳仕法を紹介する際に「二宮尊徳は偉い人だが、水を得るために先祖が工事に携わっていたことを忘れてほしくない」と語りかける。水を大切に思う心は着実に受け継がれている。
 


〒960-8648 福島県福島市柳町4の29
ネットワーク上の著作権(日本新聞協会)
国内外のニュースは共同通信社の配信を受けています。

このサイトに記載された記事及び画像の無断転載を禁じます。copyright(c) 2001-2004 THE FUKUSHIMA MINYU SHIMBUN