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静かな山村の姿を大きく変えた田子倉ダム。奥会津の深い森が蓄えた豊かな水をたたえる
ふくしま発 水のあした
第2部 共生の知恵【9】
2010年4月17日付
田子倉ダム

人口減少率に歯止め 環境懸念し反対運動も
 只見町の田子倉ダム。只見川の豊かな水を利用した発電のために造られた。貯水量は国内3位の5億立方bで、水の自然落下の力で発電する重力式ダムとしては国内2位の約38万キロワットの総出力を誇る。自然に囲まれた景観の中で圧倒的な存在感を放つダムは、町の歴史の象徴でもある。
 田子倉ダムは1955(昭和30)年9月、戦後復興を進める国の電源開発事業として、発電所と併せて着工、59年5月に発電所の一部運転を開始した。
 国主導の開発計画が持ち上がった当時、町民は沸き立った。「大規模開発により、数万人規模の都市に生まれ変わる」と話題になったという。
 大規模開発は、山林資源に頼っていた静かな農村の姿を大きく変えた。新潟港から磐越西線を通って運ばれる建設資材の運搬のため、金山町から只見町まで約35キロの専用鉄道が敷かれたほか、工事用道路も整備された。専用鉄道は建設終了後、当時の国鉄に編入された。
 着工時の55年には町の人口が約1万3000人に上った。現在の人口約5000人の2.5倍超。開発に伴い4、5000人の労働人口が流入したという。ダム付近の建設作業員宿舎一帯には映画館もあったといい、昼夜を徹した工事は、町を活気づけた。
 「大規模都市」は、実際には建設作業の機械化で人の労力が削減されたことや、鉱物などの地下資源が少なかったこと、森林伐採で出た木材が町内では2次加工されなかったことなどの要因で、実現しなかった。
 しかし、町史に詳しい「只見の自然に学ぶ会」代表の新国勇さん(52)は、「開発が進んだおかげで、人口減少率はほかの町村と比べ歯止めが効いていると思う。それは電源開発の効果でしょう」と分析する。
 ダム建設は、豊かな自然環境が壊されることを懸念した住民の反対運動や、水没地域との補償金をめぐる問題などもあり、万事が困難なく進んできたわけではない。
 原生的な手つかずの自然が残っていれば、町の発展は、豊かな自然環境を利用した別な形に進んでいたかもしれないとの声もある。「メリットとデメリット。ひと言ではいえない功罪があった」と町文化財調査委員の飯塚恒夫さん(75)は言う。
 


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