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清水池
郡山市の水道の発祥である「清水池」。豊富なわき水が人々の暮らしを潤し、地域発展の礎となった
ふくしま発 水のあした
第2部 共生の知恵【10】
2010年4月18日付
清水池

暮らし潤したわき水 産業や生活幅広く活用
 郡山市西部の逢瀬町多田野にある小さな公園に、こんこんと水がわき出る泉がある。泉の名は「清水池」。泉の水は1890(明治23)年から1912年までの22年間にわたり飲料水や工業用水として使用されていた。花冷えの中、泉の周囲にはミズバショウが咲き誇る。透き通る泉をのぞくと、底に沈んでいる数個の朽ちた木管が目に入る。木管は清水池から郡山市街地までの約10キロの区間をつないでいた当時の水道管。マツをくり抜いた木管を地下に埋設し、一つ一つをつないだ明治の人々の努力をしのばせる。
 清水池を水源とする多田野水道を建設したのは、当時の郡山町の町民有志。郡山の水道の発祥と伝えられている。清水池を管理する市水道局の永峯昌尚さん(30)は「飲料水の確保に加え、当時の郡山は製糸業が盛んで、生糸の品質の決め手となる良質な水が必要だった」と建設の経緯を語る。清水池の1日当たりの湧水量は現在でも小学校のプール3杯分で、8000人程度だった郡山町民の生活を支えるのに大きな役割を果たしたという。
 住民生活に潤いをもたらした多田野水道だったが、明治30年ごろを過ぎると、木管が腐り始め、漏水や泥水混入など給水に支障が出た。町の人口が急増し、水不足は年々深刻化。こうした状況を踏まえ郡山町は近代水道の建設に着手、1912年5月に多田野水道は断水され、清水池は水道の源泉としての役目を終えた。市水道局の宍戸将行さん(36)は「水道が最も重要なライフラインであることはいつの時代も変わりなく、木管でつないだ発想は素晴らしい」と先人の偉業をたたえる。
 清水池の水は現在でも地元で農業用水などに利用されている。近くに住む農家橋本清次郎さん(66)は、清水池から流れる用水路の水を自宅の庭の池に引いている。田植え期などは池から田んぼに水をくみ入れる。橋本さんは「父の代から清水池の水を引いている。昔は人が飲んでいた水なので田んぼに使うのはぜいたくかもしれない」と笑顔で語る。湧き水は普通の農業用水よりも水温が低いので一度、池に入れてイネの生育に適した水温にするという。木管でつないだ水道や橋本さんの農業の取り組みに、水と共生するための知恵が凝縮されている。
(第2部おわり)
 


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