【震災10年】避難解除半年 大熊町の農業再建、前向きに

「冷暖房付きの休憩室があり、作業後にはシャワーで汗を流せる。これまでとは負担が格段に違う」。大熊町下野上で黒毛和牛を飼育する兼業農家の池田光秀さん(59)=広野町に避難=は、畜産のための事務所兼休憩所として使っている新築の住宅で額の汗を拭った。
池田さんは会社勤めをしながら妻美喜子さん(62)と2人で和牛を育ててきた。「早朝から作業をした後、会社に行き、帰宅後も休日も牛の世話をした。休みがなくても苦労したとは思わなかった」
2011(平成23)年3月の原発事故で町外避難を余儀なくされ、同5月には手塩にかけた牛の殺処分に同意するよう求める通知が届いたが、池田さんは同意せずに世話を続けたという。平日は美喜子さんが避難先から通い、休日は池田さんが足を運んだ。「以前は限られた時間しか立ち入りができず、作業の合間に休憩する場所もなかった。トイレは近くの休憩施設を借り、汗をかいてもそのままだった」と振り返った。
原発事故から8年が経過した19年4月に大川原、中屋敷両地区で避難指示が解除された。今年3月5日には帰還困難区域にあるJR大野駅や県立大野病院の周辺など約28ヘクタールで避難指示が解除され、規制緩和により野上と下野上両地区の計約290ヘクタールで自由に立ち入りができるようになった。
規制が緩和された地区にある新居の引き渡しから約1カ月。除染が終わってもまだ家に住むことはできない。上下水道などのインフラ復旧も途上のため、井戸水を利用して合併浄化槽を整備した。不便は残るが、池田さんは規制緩和に踏み切った町の対応を評価している。
震災前、農業が基幹産業だった大熊町。町内ではコメの実証栽培が行われ、イチゴの栽培施設が稼働するなど、手探りの状態ながらも農業再建に向けた動きが少しずつ見えてきた。国の出荷制限などから、現在飼育している約30頭の牛はいずれ処分せざるを得ないという。それでも池田さんは「ここで畜産を本格的に再開したい」と前を向いた。
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