【浜通り13物語】第1部・始まりの男/復興に直接関わりたい

 
2012年11月の楢葉町・JR竜田駅前。被災地を家屋調査で巡る中で、吉田氏は復興に関わる決意を固める

 被災地家屋調査参加の吉田さん

 「東京の事務所に来てくれないか」。東京電力福島第1原発事故から数日しかたっていない2011年3月中旬、古里・大熊町からの避難を余儀なくされ、千葉県の親戚宅に身を寄せていた吉田学に、勤務先の東電関連企業「東双不動産」から連絡があった。吉田は千葉に家族を残したまま東京都内の事務所に向かった。

 建築士の資格を持ち、第1原発での各種工事の監督をしていた吉田は、東日本大震災と原発事故で被災した従業員らの安否確認と住まいの確保を担当することになった。一人一人と連絡を取り、親会社が所有する栃木県や神奈川県などの社宅に割り振って入居を促した。1週間ほど都内のホテルに缶詰め状態となった。

 家族と一緒に大熊町から避難してきた吉田は、社宅の中でも比較的間取りが広かった横浜市の社宅に住むことができた。そこから都内の事務所に通勤する傍ら、地元建築士会の一員として原発事故被災地の家屋調査に参加していた。家屋調査は、まだ避難指示が解除されていない地区などに入り、自治体の職員や住民の立ち会いの下、地震による住宅の損傷の有無や度合いを調べる作業だ。

 家屋調査は、被災した住民が政府の「被災者生活再建支援制度」を活用するために必要な手続きの一つとして位置付けられていた。また住むことができるかどうかの判断は、将来の帰還を判断する上での重要な指標になっていた。

 楢葉町などの被災地を家屋調査で巡るうち、吉田は自分の中にどうしても消すことができない思いが込み上げてきているのを実感していた。「復興の役に立ちたい。人から『ありがとう』と言われるような仕事に就いてみたい」。都内の事務所で働こうと思えば働き続けることはできたが、心は強く古里の福島県、双葉郡に引き付けられていった。

 第1原発が立地する大熊町には帰還ができる状況ではなかったが、もし戻ることができるのならば、どうするか。「自分で設計事務所と建築をやりたい。これまで経験したことのない住宅建築もやっていかなければならない。そうなると現在の2級ではなく、1級建築士の資格が必要になるだろう」。起業して自分の会社を持つイメージも固まってきた。

 復興に直接関わる仕事をしてみたいという思いは日に日に強くなっていった。震災発生から約1年9カ月が過ぎた12年12月、吉田は意を決して東双不動産を退職した。(文中敬称略)